2026年9月10日

シャワー浴びながら何の気なしにドゥルーズについて考えていた。ここにきてようやくドゥルーズを本格的に読み始めたわけだが、これまで読んできた哲学者を考えたときすべてはドゥルーズに繋がっていたんだと思った。哲学をはじめて最初の頃はカントを読んでいた。その後でスピノザとかニーチェとかヘーゲルを読み始めた。記憶では確かそのあたりで一度ドゥルーズに挑戦したんだ。しかし全く歯が立たずこれはもう少し前提となる哲学者を読んでからのほうが良さそうと思って、ラカンとかヒュームとかベルクソン、フッサールあたりを少し読んだりしたんだった。
そんなこんなでいつのまにかスピノザとヘーゲルに集中してとりくむことが多くなっていて、ラテン語やドイツ語も始めて曲がりなりにも哲学書の原典を読むということが少しずつできるようになってきたところだった。
このような経緯で今回ドゥルーズに戻ってきたんだけど、振り返ってみてもこれまで読んできた哲学者の先に予定調和のようにドゥルーズが待ち構えていたと言ってもいいし、ドゥルーズを読むためのルートとしてはいたって標準的な哲学者の選定といってもいい。信じられないことに少なくともここまで5、6年はかかっている。それでやっと今ドゥルーズへの挑戦権を得ているという実感はある。この挑戦権を得ているということだけでもすごいことだと思う。自分を誇れ。

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