哲学書を原典で読むということはその哲学者の思考を自分自身の頭に刷り込むことだと思う。なぜならたとえばその哲学書を翻訳本で読むよりも原典を辞書を引きながら一文一文読んでいくことは圧倒的に時間がかかる。別の言い方をすると強制的に精読せざるをえないということになる。辞書を引きながら読んでいくと一つの単語に込められた多重な意味に驚くことになる。その哲学書のどの箇所を切り取って一文抜き出したとしてもその哲学者の思想が滲み出ていることに気づく。それは翻訳文だけ読んでいた時期には気づかなかったことだ。ヘーゲルのある一節にはヘーゲルみが滲み出ているし、スピノザのそれも同様である。どんなに断片的な一節だとしてもその思想の染み出しからは逃れられない。つまり、言い過ぎかもしれないがその哲学書全体で表現したいことは、その本のなかのどの一節でもいいある任意の一節に表現されているとも言える。哲学書を原典で読んでいてそう感じた。その感覚だけはだれにも否定できない私だけの感覚だ。
短歌
その問いが理解できたらまた次の無意識の欲動が暴れる
三日間虚無を眺めて血を流す白目の気持ち考えてみろ
駐輪し一時間半たった今 150円の表示に草
のりこえた今乗り越えたでもそれはべつのXだっただけかも
