ヘーゲルの原典読解をやっている。ヘーゲルは「自由」を「自己と共にあること(das Beisichselbstsein)」と定義している。そして「自己と共にあること」とは「自己を規定する原理が自己自身にあること」と言い換えることができる。これってまさにスピノザの自由の概念と同じじゃないかと思った。ヘーゲルがスピノザに影響を受けているのはもちろん知っていたがここまで同じこと言っているとは思ってなかった。
そして注釈者の牧野によるとエンゲルスもヘーゲルにもとづいて自由論を述べた部分で、「自由とは必然性の認識によりその認識を実現すること(『反デューリング論』)」と述べているようだ。私たちが普段ふつうに考えてる自由の意味とはずいぶん違う。自由という概念はなぜ、どのタイミングでその意味を変えてしまったのか。もともと本来の「自由」概念はスピノザやヘーゲルのいう「自己を規定する原理が自己自身にあること」という意味であったのだろうと思う。その起源がスピノザ以前まで遡るのか今の私にはわからない。そのような「自由」の系譜を研究してみるのもおもしろいかもしれない。
しかし「自己を規定する原理が自己自身にあること」とは一切の他者と無関係であることではないだろう。そんなことできない。
すべてのものは因果関係で繋がっているし、だからこそ必然的にすべてのものは決まってしまうわけだ。
では「他者の中にあっても自己と共にある」こと。これは具体的にどういうことなのか納得できない自分がいる。そこにスピノザの矛盾がありいつまで経ってもどの研究書を読んでもその矛盾がわかるようでわからない。
善悪も上下左右も老若も男女も有無も神さまの影。
