昨夜はソトのガクエン小林さんによるドゥルーズ『差異と反復』ゼミの初回に参加してみた。いろんな疑問が湧いてきてすごくよかった。何か揚げ足をとろうとかそういう意図はないのでそのような前提で読んでもらえるとありがたい。
話の全てが理解できたわけではない。他の参加者の雰囲気を感じとるに、もうすでにドゥルーズをかなり読み込んでいる方が多そうという印象は受けた。まあ20人くらいいたから全体からすると私みたいなドゥルーズ初心者も多いのかもしれないが。
端的にいうとドゥルーズが『差異と反復』のなかで何をやろうとしているのかわかったような全然わからないような両義的な感想を持ったということだ。
ドゥルーズが『差異と反復』で行っているのは、ドゥルーズ以前のヘーゲルやカントなどを「表象=再現前化」の哲学として批判し、「表象=再現前化」によらない差異そのものを思考するシステムを作ろうとしたとの話があった。
まず「表象=再現前化」からして私にはわからないのでチャピってみた。「何らかの枠組みにはめ込んで個々の対象を理解すること」ときた。
つまりドゥルーズは「どのような既存の枠組みにもとらわれず、ただ純粋な個別の差異そのものを思考するシステム」を作ろうとしている????
いやいや、そんなことがそもそも可能だと思えない。カントやヘーゲルはもちろんスピノザにしても、その他数多の哲学者の前提のそのものを覆すような話に私には思えた。「それってそもそも哲学なんて必要ないということになるのでは?」とまで思えた。なぜなら「すべての枠組みから解放された思考」というものをイメージしてみたらそれはもはや人間ではなく(本能や感覚のみに従う)動物の領域ではないかと思ってしまったからだ。
そしてそのような「すべての枠組みから解放された思考」のシステムをドゥルーズが作ろうとしているとしたら、それこそ「表象=再現前化」なのではないかとも思った。でももし本当にドゥルーズが『差異と反復』でそのようなことに成功しているのだとしたら俄然興味が湧いてくる。ドゥルーズが『差異と反復』のなかでこの疑問を解いてくれるのならばかなり楽しみだ。
なにか私が勘違いしているのだろう。根本的にドゥルーズの話の土壌に私が乗れていないのかもしれない。もちろんそんなことを質問できるほどの勇気は持ち合わせていないのでただ講義を聴いていた。
ざっくりと初回の感想はそんな感じを受けた。一初心者の感想なのですでにドゥルーズを読めている人からしたら的外れな指摘なのだろうなと思う。
次回からもすごく楽しみになった。
