2026年10月28日

「第一性の遡及的成立」について何から研究を深めていこうか考えている中で、日々の読書において「第一性の遡及的成立」と関連がありそうなことが出てきたらチャッピに共有するところから始めようと思う。
まず気になるのは『エチカ』第二部定理13において「個体は多くの仕方で変状されるにもかかわらずその個体全体としてはその本性を保ちうること、そうした形相の変化なしに多くの仕方で変状されうることが無限に進んでゆけば、全体としての自然は一個の個体であり、そのもろもろの部分すなわちすべての物体が全体としての個体の変化なしに無限に多くの仕方で変化する、と考えることは難しくないとされること」である。つまりはじめは一個の個体をその全体と考え、その中で運動と静止の比が様々に変状されようともその個体内での本性が保たれたままである、そのことが無限に拡張されたとき、全体としての自然すら一個の個体として同様に考えられる。その自然の構成員の一部である我々がどのように変状されようとも全体としての自然はその本性を維持し続けると言われている。
そのようなスピノザの主張には「全体」と「一部」が交互に入れ替わっていき、その最終地点として「全体としての自然」というものが置かれているように思う。つまりなにを全体と仮定するか、一人の人間をその全体と考えるか、「自然全体」を全体と考えるかによってその根本的な成り立ちは変わらないという主張だと理解している。
そのスピノザの主張において措定されているのは「全体としての自然は一個の個体であり、そのもろもろの部分すなわちすべての物体が全体としての個体の変化なしに無限に多くの仕方で変化する」ということである。
つまりスピノザはその構成員である我々人間やその他動植物、さらにはそれ以外のこの世界を構成するすべてがどのように変状されようとも、世界は全体として拡張したり縮小したりするものではないと、読み取れる。
このようなアイデアは「第一性の遡及的成立」にとってなくてはならない論理性を担保しているように感じてはいるのだが。というかその箇所を読んでいる時に「第一性の遡及的成立」は生まれたのだから関係していないはずはないと思うのだが。

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