哲学ブログの方でAIを使って記事を書いた。少し前にAIを使って文章を書くのはやめようと言ったばかりではなかったか。自分でも言っていることがぶれぶれだと思う。それなのになぜAIを使って書いたのか。
一応自分なりの理屈はある。それすなわち今回投稿したような内容の記事はまだ他の人は書いていないと思ったし、私という存在がAIを使ってできることをやってオリジナリティが出せるならば、そこには一定の価値があるのかもしれないと思ったから。
昼にバッドファーマシーを聴いていて上出さんが「他の人がやらないことで私という存在ができることをやっている」というような趣旨のことを言っていて、私が解釈を間違えている可能性はあるけど、勝手に勇気づけられた。
今回の記事作成に関しては、最初の質問を思いついてAIに投げたのは私だし、その質問に対して普段から哲学の壁打ちをしまくっているアカウントで出力した内容を元に記事化をしたということ。私としてはそのAIの回答に私自身のオリジナリティを見出せるのではないかと思ったというわけだ。つまりAIさえあれば誰でも同じような記事が作れるというわけではないと考えたのだがどうなのだろう。
ただ単なる自分への言い訳のような気もするし、前回の記事と何も変わっていないにもかかわわず屁理屈を捏ねているだけかもしれない。
何でもかんでもAIに頼めばいいのというわけにはいかない。私の中でAIを使っていい時とダメな時、その境界線をどこに設定するのか。自分の発信するものにどこまでAIを関わらせるのを是とするのか。以前も書いたがやはりAIの出してくる文章はいかにもAI然としていて少し気持ちが悪い。それでも自分の問題意識や興味を即座に記事化できるという面でのメリットは大きいと思う。今回のように、「これはAIで作成した記事である」と明示した上で発信するのであれば私としては許容範囲内であると考えてもいいかもしれない。それもあくまでも現時点で考えていることはこんな感じかな。これからも自分の中でいろいろ試してみて許容できるラインを探っていくしかなさそうだ。
他の人たちはどんな感じでAIとの関わり方に折り合いをつけているのだろうか。興味はある。
一応その記事へのリンクを貼っておこう。
『攻殻機動隊』の電脳化はどこまで現実なのか――BCIからスピノザの心身論、人形使いまでhttps://ogkphilosophy.com/ghost-in-the-shell-denno-ka-spinoza/
