2022/12/14
そう言えば、最近自暴自棄になったりすることがなくなっている。
鬱期を脱したっぽい。
そう言えば、今朝のチャリ練ではじめてハーフヒッチハイカーの入りが完全な形でメイクできた。
おもしろくなってきている。
そう言えば、最近哲学に関して本当のおもしろさがわかってきたような気がする。
ここまで継続できたことは、自分にとって価値のあること。
両方とも今となってはじぶんにとってなくてはならない。
自分が心から好きで自分の有限な人生の時間をかけて取り組みたいと思えるものに出会えた。
本当にありがたい。
2022/12/15 8:24
時間にはじまりも終わりもなく、エネルギー保存の法則を採用するニーチェの永遠回帰は全く同じことが何度も何度も繰り返される。円環を描く。(なぜ時間にはじまりも終わりもないのに、エネルギーは有限ということがありうるのだろうか)
どんなに遠い未来になるかはわからないが、世界が有限である限りいつか全く同じ配列がやってくる可能性がある。
対して、ホワイトヘッドの現実的存在は消滅した後も与件として存在し続ける。どんなに小さく、遠くなろうとも全ての与件は一つの現実的存在に対して影響を与えることになる。そして宇宙は永遠に拡大し続けていく。
今自分が感じている充実感とか幸福感とかに関して、他の一般的な人々が感じている、たとえば子育て恋愛などの幸福感と比べてどんなものなんだろう。
2022/12/19
ホワイトヘッドの哲学は、分析的方法で、つまり結果から原因に遡る方法で書かれている。一方スピノザの方法は総合的方法で、つまり原因から結果へと前進する方法で書かれている。
結局自分にできることといえば、過去の偉大な哲学者のテキストを読み込んで、数人の哲学者を比較検討すること。
そこから見えてくる矛盾点を考察していくこと。
その数人の哲学者とは自分にとってスピノザとホワイトヘッドではないか。
2022/12/23
世の中は寂しさ、どうしようもないもどかしさ、悲しさに満ち溢れている。
それをひしひしと感じる。
感じるけれどもどうすることもできない。
各自が乗り越えていくしかない。
たまに同じ気持ちを共有して、また孤独な闘いに戻っていくしかない。
2022/12/25
色々とあった翌朝などに、自分が変わってしまうことに対する恐れみないなものがある。
つまり、変わらない自分でありたいという本性が無意識的に働いていることを感じる瞬間。
身体的にも、精神的にも、自分の状態を以前のそれと変わらない状態に保ちたいという意識が働く。
鈍感に生活していると気づかないが、それだけ人間は変わりやすい生物だと言うこと。
もともと持っている性質と、経験によって変わっていこうとする性質の引っ張り合いのようなものか。
人間が悩んだり、苦しんだりすることの意味はなんだろう。
そこに意味はないとニーチェ的に断言してしまうのは簡単だし、それがほんとうのところなのかもしれない。
しかし、何か自分自身その感情によって、不快を感じていたり、抵抗を感じているということは絶対に否定できない。意味はないかもしれないが、何かあるにはあるのだ。
そして、「快」の感情と、「不快」の感情はコインの表と裏のように事物に付随しているものである。
一時「快」だった感情は次の瞬間には「不快」に変わり、そしてまた次の瞬間には「快」に変わっている。
2022/12/26
ニーチェを読んでいた時は、もっと自分の「快」を追求していいんだ、と自分中心に考える発想が自分の中で強くなっていた。
スピノザを読んでいる今は、全てのものは「神」一部なんだ、と自然と周りの人やものに対して優しい気持ち、態度になっているように思う。
2022/12/26 10:13
結局自分なりに勉強して、必死で考えて答え出して、行動するしかないんよな。
2022/12/30
今年が終わる。