2023/04/20
夜中に目が覚めた。
久しぶりだ。
こういうときは無理に寝ようとしてもダメだ。
一度起き上がって、白湯をのみ、読書をする。ひとしきり読んでたら眠たくなってきてまた眠れる。
言語化は難しいが、なんとなく自分のサイクルがわかってきた。
昨日もいろいろとあった。
私に対する悪意を感じることもある。それはそれで仕方がないと思う。自分に原因があることも自覚している。
自分にとっての最善を尽くした結果なのだから、どうしようもないし、それは必然的なことなのだと思う。
自分が係長になった時のことを想像すると怖くなる。
仕事量は圧倒的に増え、責任は重くなり、周りからの目線は厳しくなる。そんな状況に自分は耐えられるのか。
何よりも恐れているのは、残業が増えること。今の生活サイクルがくずれること。
自分は他人よりも長時間の睡眠が必要だということがわかってきたし、自転車に乗ったり、読書をしたりと自分だけの時間が絶対に必要であると言うこともわかってきた。
今は、そう言う時間を取ることがあたりまえにできているし、そう言う日常に馴染んでいる。
なによりもそう言う時間をとれなくなることを恐れている。
40歳、50歳になっても係長にならずに、平の職員としていつまでも働くという道もある。
それが悪いこととは思わないが、初めから昇進したくないと希望を出しておくと言うのは少し違う気がする。
挑戦はするべきだ。
その結果、潰れて平に落ちるならそれはそれで一つの結果として受け入れられる。
最初から挑戦しないのは、違うのではないか。
2023/04/20
きょうはいろいろありすぎてパンク状態。
まず、朝一マックサークルの切り返し戻り初メイク。
昨夜あまり寝れなかったからか仕事の調子は最悪。
めまいと不安感と頭が真っ白で仕事にならない。
メンタルが良くない。
明日、飲み会があることを無意識的にストレスに感じてしまっているのだろうか。
あいかわらずミス連発。つらいしか感じない。同僚に嘘もついてしまった。自分最低。
仕事をなんとか終えたと思ったら、自分の心が弱っているときに追い討ちをかけるように
お母さんの肺がんの知らせを受ける。
絶望という気持ちのなんたるかを知る。
ほんとうに自分が消えてなくなりたい気分とはこのこと。
やるせない気持ちといってしまえばあっさりしたものだが、ここ最近人間の不条理をまざまざと突きつけられる体験が多いような気がする。
どうすることもできないのはわかっているが自分にも、悔しい気持ち、やるせない気持ち、なんとかしてあげたい気持ちは湧き上がってくる。
そんな気持ちはなんの役にも立たないし、なんの意味もない。
自分にできることはなにか。
この親不孝ものが今更なにを言っているのか。
結局病気にならないと、ろくに会いにもいかなかったではないか。
自分は人間のクズだ。
2023/04/22
飲み会終わった。
今回も引かれる発言してしまったけど、まあ楽しかったな。
それも含めての自分ということで受け入れてもらえるかどうかというところか。
やっと、企画した飲み会も全て終わり。繁忙期も終わり。
相変わらず仕事は前途多難だが、ちょっと自分に集中しようと思う。
最近読書量が減っている。また哲学研究にも真剣に取り組みたい。
毎回の、飲み会のあとの自己嫌悪と、頭の中を記憶の永遠ループのターンが入る。
もう慣れた。
チャリ乗りに行こ。
哲学のどこに自分が惹かれているのかこれまで言語化することはなかった。
飲み会でその話を少ししたことで自分が哲学のどこに魅力を感じていたのか再考できた。
要は、難しいこと、初めはほとんど理解できない本が、勉強を継続していくことによって、読めるようになる、理解できるようになる経験を求めているのではないだろうかということ。
根本的にはBMXと一緒ではないのか。
2023/04/22②
『承認欲求が強い事と、自分が他人の目を気にしすぎる事。それは、母からの教育の影響なのか。
自分はこどものころ母から承認されることが少なかったのだろうと思う。
母はヒステリーなところがあったし、何時間も勉強や、習い事で母に泣かされながら、嫌嫌やらされていた記憶がある。かなり母の顔色を伺って生活していたのだと思う。
それは、母親に承認されていないという認識を自分の根底深くに刻み込んだのだろう。
今自分は、他人の目を気にして、なんとか嫌われたくはない、たくさんの人に認められたいと無意識的に考えずには居られないことの根底には、幼少のころの経験が間違いなく関わっているのだろう。
改めて考えると、自分の人生とはその思いとの、格闘の歴史と言っても良いのではないか。
常に自分の根底に根を張って、自分の行動を左右する意識。
そんなものに左右されたくはないといくら強く願おうとも決して逃れることのできない呪縛。
だからといって今、母を憎んでいるわけでは決してない。
自分の理想の押し付けといってしまえばそれまでだが、母は母なりに精一杯子育てをしたのだろう。
愛がなかったわけではないと信じている。
ただ本当に人生とは残酷で、不条理なものだと思う。』
というストーリーで自分の幼少期を解釈したわけだ。自分は。
『複数の解釈の尺度、パターンの多い尺度で一つの事実を解釈することが大事。
人間には認識で、自分のストーリーを作る以外の方法はないということ。
つまり、あるがままの経験なんてものは不可能だということ。
悲観的になりすぎないこと。
悲観的に見すぎるという行為は、メンタルの自傷行為である。
悲観的に見る方が自分にとってコンフォートであるという構造が出来上がってしまっている。』
なぜ人間は人生を悲観的に見る傾向にあるのだろうか。
それは、世間に悲観的な見方があふれかえっているから。
無意識的に影響を受けてしまっている。
あと思うのは、自分が哲学書で学んだことを自分の日常生活に当てはめて考える努力が必要ということ。
それは、本を読んでいるとき以外に本で読んだ内容を思い出す必要があり、記憶の定着の面でも有効。