2023/04/23
自分は泥船にのっているのだということ。
ただこの泥船は完全にとけて沈没してしまうことはないのだということ。
狭い足場は必ず残るのだ。自分はその足場に悠々と笑って立っていなけらばならない。
そのためには、相当の覚悟が必要であると言うこと。
覚悟というのは自分の仕事を淡々とこなすこと。
身体を壊すほどの仕事を引き受けないこと。
2023/04/24
考えたこと。
自分が今読んでいる哲学者、スピノザやカント、ヘーゲルとかはある意味社会から認知され、承認された者たちである。(たとえ生前ではなかったとしても)
そしてその背後には、自分に、あるいは世界に認知されずに埋もれている哲学者も星の数ほどいる。何も残していないだけで、壮大な哲学体系を構築していた者が過去に埋もれてしまっていることだってあるだろう。
つまり、自分が認知している哲学者とは、ある意味で社会から承認された者たちなのだ。
社会から承認されるとは、どういう意味を持つのか。
それは、ある意味世間馴染みの良い、泥臭さの抜けた、洗練された理論なのではないか。
いや、本当にそうか?
人間の汚い部分や、愚かしい部分に焦点を当てた哲学だってきちんと残っているのではないか。
ホワイトヘッドではないが、過去の全てを包摂した上での哲学が残っていると考えるべきなのではないだろうか。
やっぱり、最終的には今残っている哲学を信じるしかないのだと思う。
なぜ先日の飲み会の場で、チャリの話は盛り上がって、哲学の話は盛り上がらないのか。
その二つの本質的な違いはなんだったのか。
BMXの方はわかりやすい動画というツールがあった。
それに対して、哲学はといえば、自分にとっての哲学の魅力をわかりやすく面白く端的に、皆に共感される形で語るほどの能力がなかった。
そして、そのように語ることができなかったからと言って、哲学というものが魅力がないものであるわけでは決してない。
自分にとってBMXの方が価値があって、哲学の方が価値が低いわけではまったくない。
ちゃんと伝えることができなかったのはきっと自分だけではないはずだ。
自分というものをきちんと表現したいという思いと、それが叶わなかったことに対する後悔みたいなものは誰しもあったはずだ。
表面的に出てきたことはその人の一側面に過ぎないということ。その人の全てを理解することなんて不可能であるということ。
ただ一側面には過ぎないが一つのその人を現していることは間違いない。
しかし選挙事務に行くのはいいな。
なぜなら自分にとってそれはある意味、非日常体験となるから。
その上に小遣いも入るし。
さらに昨日の選挙事務で感じたことは、瞑想をした時のような効果があったのではないかと思う。
身体を動かしたい、今すぐ席を立って他のことをしたいという思いは最初の方はあったが、強制的に単純作業をやり続けることで、午後からはそういった思いがなくなり、ただ流れに身を委ねるような感覚があった。
午前中にあった「眠い」「寒い」「時間が永遠に感じる」などの不快感が嘘のように消えて、研ぎ澄まされるような感覚。
どうにかそれを日常的に再現できないものか。
結局睡眠なんだろうなぁという気がする。
自分の感じたこと、考えたことを文章として書き出すことは自分にとって良い。
それは一つの解釈を、ストーリーを自分の中で作るということである。
そしてその解釈は何パターンあっても良い、むしろ多ければ多いほどよい。
そのストーリーを書き出すことで自分を客観視することもできる。
2023/04/25
雨予報なのでチャリ練なし。
夜寝れた感覚があったのに、朝の頭が混乱している感覚はなくならない。
頭にモヤがかかったような、すっきりしない感覚。
頭がはっきりしている時間もあるからこそ、混乱している状態がつらい。
自分の感覚、感情を書き出すこと。
朝窓際に椅子を持って行き読書。
フッサールを読み始めた。
しかし新しい哲学者に手を出すのはこれくらいにしておこう。
手を広げ過ぎているとも言えるかもしれない。
今まで買った本の内容の半分も理解できているのだろうか。
これまで買った本を読み返し、理解を深めるということが必要であって、当分の間は新たな本を買う必要はないと思う。(どうしても欲しい本以外は…)
今家にある本を何度も何度も読み返し、自分の血肉とすることができれば、どんなことが起こるだろうか。すこしわくわくするではないか。
ただ重要なのは、内容を理解して「読める」ということなのであって、その内容を記憶しておく必要はないということ。自分の中で言語化して、記憶して、他人に説明できるところまでいけばそれは良いのだろうが、まずは話がわかること、その哲学者の思想を正しく完全に理解することは不可能としても、一般的に専門家の中で主要な議論の対象となっているトピックについて、わかっている状態。
一言で言うと、『その哲学者の書いた本を読めるようになること』
趣味なんだし、そこがゴールでも全然いいと思っている。
2023/04/25②
哲学もBMXと一緒で数年で成果が出るような甘いものではない。
数十年単位に及ぶ継続的な努力をしてやっと何か出てくるものがあるのではないか。
幸いまだ自分にはそれを試すだけの時間はある。人生をかけて、それをした時なにが出てくるか人生を賭けて試してみようではないか。
自分にとって同じくらいの時期に始めたということもあってか、どうしてもBMXと哲学を関連づけて考えてしまう。
BMXに関して、今自分でも驚くほど上達してきている。
でも振り返って思い出してみると、これまでの道は険しかった。
本当にこの技を練習し続けて、いつかできるようになる日が来るのだろうか、と何度も思った。
でも毎日やり続けたらできる日が来た。
こんなことやって意味あるのか、本当にできるように、読めるようになるのか、と誰もが思うがそこでやめてしまうか、継続してやりつづけるか。
「継続して努力しつづけていれば必ずできるようになる。」一言でいうとBMXから自分はそれを学んだ。