2023/05/03
今日は久しぶりにスネに深めの怪我をした。
ハイドラントからエルクへの入りで新しい感覚があり、いい感じだなと思っていた矢先、突然ブレーキロックしてチャリの上に転倒。ペグでざっくりとスネをやってしまった。
車体に上から転倒したことからも言えるが、ただ明らかに動きとしては正解に近い感覚があった。
つまり、おおげさにハンドルに上体を被せること。ハイドラントの入りから車体に被さりにいくくらいの感覚で入ること。入りで前後が逆になるので感覚が難しいが、とにかく入りの段階で「車体に上体を被さりにいく」。入りの前も大事やし、回ってからも大事。常に上体を被せつづける位置関係にいること。意識だけではなくで実際にそうできているかが大事。
BMXも哲学もゲームバランスの悪い(難しずぎる)クソゲーである。
しかし、自分にとっては、これくらい難しすぎるほうがやりがいを感じるし、飽きることがない。
違うところといえば、BMXには怪我のリスクがあるということくらいか。
哲学にリスクなんてものがあるのだろうか。
どうしても自分は母が癌になったことを他人事と思えない。
母にとって今、世界は、日常は、家族は、人生は、どのように映っているのだろうか。
特に価値のないものなのだろうか。
それとも、以前よりもきらきらと輝いて見えているのだろうか。
あるいは、絶望に沈んでいるのだろうか、あきらめにも似た脱力感に襲われているのだろうか。
残り時間に対して焦燥感を感じているのだろうか。
人間は、身体というものに魂(自我、意識)が宿っている。あたりまえだが身体がなくては自分ではない。
この自分の身体があって初めて、自分というものは成り立っている。
身体性、スピノザは「身体の観念」というふうに精神を表現した。
自分の中で、何が理解できていて、何が理解できていないのかきちんと整理しなければならない。
その上で、理解できていないこと、納得がいっていないことを納得がいくまで考え続けること。たとえ答えがない問いだとしても、自分に対して問い続ける胆力が必要ということ。
2023/05/04
昨日のチャリの練習で、スチームローラーの入りから、両足スチーム〜ハーフヒッチの流れで、
この前YYカップでみたジュンペイさんのようなスタイル、つまり非常にスローな流れの気持ちよさみたいなものを感じた。
先日スネをしこたまぶつけてから、怪我に対する恐怖感がかなりでている。スネと膝のプロテクターまでポチってしまった。
プロテクターなんてカッコ悪いとか思ってた時もあったけど、怪我して乗れなくなる方が怖い。多少動きづらくなるかもしれないし、装着がめんどうで、真夏とか蒸れそうやけど、怪我するよりは100倍マシ。
別にかっこよさのためだけにやっているわけではない。
長く続けたいのだ。
ただ、プロテクターといい、ブレーキを付ける付けないの問題といい、スタイルに関わってくる部分になるから、自分に問い続けることが大切だと思う。自分にとってのかっこよさとは何かを。
そして、練習するトリックも、なんの忖度もなく、自分が心からかっこいいと思うオリジナリティのある動きを練習していってもいい時期かもしれない。
それは、他人の真似でいい。その人のある特定の部分だけ自分のツボにハマるようなかっこよさを感じる動きっていうものがいくつか出てきてる。それをちゃんと自分の中で意識できているか。
「考える」ということは「(自分自身に)問いを投げかける」ということ。
本で読んだことに対して、問いを持つこと。
午後から両親と、美紀と大阪へお出かけ。
一緒に過ごせたことで少なくとも自分の気持ちは少し落ちついたような気がする。母はどう思ったかわからないけど。
何か特別なことを言ってあげられなくともいい。それでいいんだと思う。特に何を話すとか、どこにいくとか、ではない。一緒の時間を共有できたことがただよかったと思う。
2023/05/06
アニメ「TRIGUN STAMPEDE」を見た。
身体ほどでかい十字架型の銃を背負ったキャラクター(ニコラス・D・ウルフウッド)にかなり惹かれてしまった。
でかい銃を重そうに持ち運ぶ姿が、自分の分身を背負っているように見えた。でかい銃という物体も含めてそのキャラのアイデンティティを構成している感じ。
自分がBMXも含めて自分を構成するようなもので、自分にとってなくてはならない相棒のような存在にBMXがなっていったらかっこいいなと思う。
自分にとってのBMXのかっこよさはそう言った部分にもあると思う。
2023/05/07
お前はヒーローじゃない。ただ目の前で人が傷つくのを見たくない臆病者だ。