2023/05/13

朝は乗った。とりあえず乗っただけでも偉いじゃないか自分。

初めてスチームからヒッチハイカーへのタイヤ持ち替えまでいけた。

今日は休みで妻が友達と出かけている。自分だけの時間が取れる。

そんな貴重なタイミングに何をするともなく午前中を過ごした。

昼からは少し本でも読もうと思う。

かっこいいことを書こうとするな。

むしゃくしゃとする思いが昨夜から続いていたような気がする。

自然的な欲求に対して自分がどこまで我慢するべきなのか。

たまに全てなくなって、自分自身も消えて無くなって仕舞えばいいのにとか、ふいに思ったりした。

この身体というものはすぐしんどくなったり、いろんな欲求を感じたり、なんともめんどくさいものだなぁと思った。

文章を書くことは、思考力の筋トレであり、自分にとっては精神の癒しでもある。

考えるということを考える。

考えると言うことは「問い」を立てることなのか。

いやそれだけではないだろう。

人間考えないという状態が逆にできないのではないか。

生きている以上常に何かを考えている存在、なにをかんがえたか、それを意識するのは事後的にしか認識できない。

自分が考えたことを結晶化すること。

なんでもいいから、自分が考えたことを書き出すこと、それはラジオで聞いた内容でもいいし、本で読んだことでもいい、自分の100%オリジナルの考えなんてものはないのだから、とにかくなんでも書き出すこと。

そして、それら同士の関係性が自然的に発生してしまい、相互浸透する。

そんなことを毎日毎日、数えきれないほど継続していくうちに何かがぼんやりと形になって現れてくる。

もっと長期的に考えろ、少しの努力を毎日継続するのだ。

だが、あくまでも「言葉」は対象そのものに、決して触れることはできないと言うこともまた真実である。

ベルクソンは、ある時点での対象を言語化し、その語によって、その対象を固定することをきっぱり拒絶していた。

どの世界でもそうだが、一流のパフォーマンスの背景には、努力を努力とも思わない膨大な実践、反復、継続が必ず背景にある。それを実感としてまざまざと感じる。

膨大な実践を継続することが苦痛ではないことを、または実践せずにすませることがどうしてもできないことに自分自身が取り組めていると感じている今は、本当に貴重で幸せだと思う。

2023/05/14

雨で乗らず。

些細なことで妻と大喧嘩。

昔から妻はキレたら物に当たる。

このマンションに越してきてからはそんな大喧嘩はなかったが、今日のはひどかった。

自分は物に対する執着が強いので、物に当たられると自分もブチ切れてしまう。

ひどい怒鳴りあいと、自分は悪くないという不毛なお互いの主張が繰り返されて二人とも疲れ果てて終わる。

本当にやるせない気持ちしか残らない。

冷静になって考えてみると、良いも悪いもないじゃないかと思うのだ。

それぞれの主張なんてものは、それぞれ自分の立場からみた自分に都合のいい解釈にすぎない。

正直、最初にケツをまくってキレた妻に原因があると思うのだがそれも自分の立場からみた一つの解釈にすぎないのだろうか。

無駄に疲れる休日を送った。

どうすればいいのか。

もっと妻のことを見て、話をしっかりと聞くことくらいしか思いつかない。

ただそれをしたとして、見「過ぎる」といけないし、聞き「過ぎる」のもいけない。

それはそれでまた軋轢を産むし、自分自身が疲れ果ててしまうだろう。

本当に気持ちが落ち込む。

なんでこんなことになってしまうのか。

もうやってられるか、と言う気持ちになる。

しかし自分ももういつのまにか取り返しのつかない年齢になってしまったのだな。

こんなことがあると随分と疲弊するのでもう繰り返したくはないが、また繰り返すのだろうな。

本当に憂鬱になるよ。いつの日か死ぬ瞬間自分は振り返って人生をどう思うのだろう。

やりたいことができて幸せだったなと思うのだろうか。

それとも、踏ん切りがつかず惨めな人生だったなと思うのだろうか。

やっと死ねるとホッと一息つけるような気持ちなのだろうか。

それとも、まだまだ生きたいと生に執着し続けているのだろうか。

明日死ぬと言われたらどうか。

まだまだやりたいことがあるから、こんなところで死んでたまるか、なんとかして生きてやると思う。

きっと、何十年後死ぬ時も同じような気持ちなのではなかろうか。

そして無常にも死んでいくのだろう。

そんなもんだろう。

あの自分が怒鳴り散らしていた時、自分自身のことを以前職場で理不尽にクレームを言い続けていた客と同じような存在に感じた。

何か自分自身が意地の悪い、悪意の塊のような人間と思えて怖くなった。

いつからこんな人間になってしまったのか。

自分自身のなかにこんなにも醜い塊のようなものがあったのか。

こんな形でそれが引き出されてしまった。

それはある意味、恐怖心ではなかったか。

比喩的な意味ではなく、現実的な意味において自分の身を守るための叫びではなかったか。

それほどまでに妻がキレたら何をするかわからない恐怖ではなかったか。

それじゃあ、尚更自分は自衛のためにある意味当然の行動をしたまでではなかったか。

あと何度こんなことを繰り返さねばならないのだ。

なんとも不毛で、やるせない。

自分に対しても、妻に対しても腹が立って仕方がない。

2023/05/15

今日は晴れてたのに乗りに行かなかった。

よく眠れたとは思う。

昨日の件で気持ちが晴れないが仕事はやってくる。

自分は結婚に向いていなかったのだろうと思う。

根本的に自己中すぎる。他人に興味がなさすぎる。一時的に興味を持ってもそれが持続しない。

妻だと思うからダメなんだと思う。相手を妻と思ったら傲慢にもなるし、不満も出てくる。「お互いに助け合って生きる同居人」他人だから当然敬意を払って接しなければならないし、お互いの時間を尊重しなければいけない。

妻に対してもたれかかりすぎていたのかもしれない。人間結局はひとり。自分だけしか頼りにはならない。

もうそれでいいんじゃない。

利他(道徳、~すべき)を主張する怖さ。息苦しい世の中。