自分が哲学を勉強する上での軸はなにか。
哲学とは世界の真理を探究する学問分野なのであろうか。そもそも世界に真理なんてものが存在するのだろうか。
ニーチェ的にいうと、各人にとってのそれぞれの世界解釈があるにすぎず、人間にとって全く完全無欠の真理なんてものはないのではないか。
そうはいっても、これまでもこれからも人はこの世界の真実を突き止めたいという衝動から逃れることはできない。
では各人が自分が是とする解釈を信じて生きているとして、自分ははたしてどのような世界解釈、人間解釈に心惹かれるのだろうか。
何よりも、自分が惹かれている思考方法は、まさにフッサールのそれであり、ホワイトヘッドのそれである。
つまり、今現在の実在している自分自身とは、自分以外のすべてによってつまり、自分以外のこれまでの全て(空間的にも、時間的にも)を包摂した形で成り立っている。
そして、成立したと自分が認識した時には「今」は、すでに過去となっており、今現在の自分自身を捉えることは決してできない。
また、過ぎ去った出来事は決して消滅することなく、過去の中で新たな未来を規定する要素(原因)として永遠に存在し続けていく。
そのようなアイデアはスピノザの決定論として語ることもできる。
これまで、哲学を勉強してきた中で、このような現象学的な概念に自分は惹かれているということがやっと最近自分で認識できるようになった。
どうやらこのような考えは仏教にも通じているようだ。