2023/06/03
自分にとっての生活のフォーマットができつつあるなと思う。
人間にとって自分の自由に使える時間というものが何よりも必要である。
それがあってこそ、何かを追求し、深く考えることもできる。
その自由な時間を使って得た何かが、自分の自信になり、不自由な労働時間の支えにもなる。
どちらも必要で、なくてはならない。
世の中のすべては二元論に落ち着くし、その適度な塩梅を攻めるバランス感覚を磨かなければならない。
最近自分の思い、機嫌、考えを自分自身が重く見なすことができるようになってきたように思う。
しかし、それも行き過ぎればただの傲慢な利己的な人間に繋がる。
そしてその反対は、卑屈な他人の機嫌ばかり気に掛ける人間といったところか。
基本的に自分はナルシストなんだと思う。
自分自身が大好きで、自分自身のことを高く評価しているのだろう。そして、その自分自身に対する評価は往々にして、客観的な評価よりも高く見積もりすぎることが多い。
そうかと思えば、くよくよと自信がなくなってしまうことも多い。
他人の目を気にしすぎるところもありどうにもめんどくさい人間だなぁと思う。
自分自身を高く評価しているときの自分と、低く評価しているときの自分。
だれしもその間を揺れ動きながら生きているのだろう。
どっちが本当の自分なのか。
それは、自分自身の身体面と精神面の両面における余裕度合いが重要なファクターとなっているのではないだろうか。
2023/06/04
朝乗った。
いろいろともうちょっとでできそうな技がでできている。
技のチョイスはこのままの路線でいいと思う。
昼から西宮浜のレストランで海を眺めながらテラス席でランチ。
海辺にいる人たちって独特のメロウな雰囲気あるよな。
『必要なのは、偶然のものだけを瞬間的に愛することではなく、永続的に愛することなのである。偶発的に愛するのならば、だれにでもできる。悪人でも愛するだろう。青年だったわたしの兄は小鳥たちに赦しを乞うたものだ。これは無意味なようでありながら、実は正し い。なぜなら、すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一個所に触れれば、世界の他の端にまでひびくからである。小鳥に赦しを乞うのが無意味であるにせよ、もし人がたとえほんのわずかでも現在の自分より美しくなれば、小鳥たちも、子供も、周囲のあらゆる生き物も、心が軽やかになるにちがいない。 もう一度言っておくが、すべては大洋にひとしい。それを知ってこそ、小鳥たちに祈るようになるだろうし、歓喜に包まれたかのごとく、完璧な愛に苦悩しながら、 小鳥たちが罪を赦してくれるよう、祈ることができるだろう。』
カラマーゾフの兄弟(中)p143