2023/05/22

今日はとにかく調子が悪かった。

朝のチャリから仕事までダメな時の自分だった。

それはもうどうしようもないのであきらめて、次に進む。

どうしたものか。

なにかしなくちゃ、と思うが行動できないでいる。

早く寝て明日に備えないといけないと思いつつ、YOUTUBEをだらだら見てしまっている。

もはやそこに自分にとって有益な情報はないよ。

でも何かまだあるんじゃないかと思ってしまうのだ。

SNSもそう。

最近また、WEBメディアに時間を食われている。

2023/05/23

一冊の本をとことん読み込んでみることという話があった。

この1年半で自分はたくさんの本を購入した。そして自分なりに読んではきたつもりだが正直浅いのだろう。

その本たちの持っているポテンシャルの上澄みだけをすくった程度の読み方しかできていないのが実態なんだと思う。

何度も確認するがもうたくさんの本を買う必要はない。

今持っている本に、すでに人類の叡智が詰まっている。そこに全てが詰まっていると言ってもいい。

もっともっとそこから吸収できることがあるのだ。

たとえば、スピノザの「エチカ」、カントの「純粋理性批判」、ヘーゲルの「精神現象学」を読もうとする時、いきなり原著を読み始めたりはしない。まずは入門書から入る。ある程度、基礎知識をつけてから原著に挑戦するという流れだろう。その後、さまざまな解釈書、研究書と原著を行き来しながら自分自身の理解を深めていくことになるだろう。

では最終的な到達点としては、その哲学者が書いた原著だけあれば、その他雑多な研究書や入門書は処分して、自分の書棚には原著だけが残るということになるのだろうか。

いや、そんなことはないだろう。

やはり、原著と研究書の往復運動によって自分の知が確立されていくのだと思う。

ただし人生は有限である。あまりにもたくさんの哲学者、書籍に手を出せばそれだけ各哲学者に対する理解は浅いものになってしまうだろう。

入門書などでたくさんの哲学者の思想はたくさん知っておいたほうがいいとは思うが、本当に自分が研究をする哲学者は絞り込まなければならない。全ての哲学者を研究することはできない。

2023/05/23

「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。

哲学書よりも軽く読めるという意味では、息抜きにいいかなと思う。

哲学でも文学でも、優れた作品に触れることが重要。

17mmソケットのラチェットレンチを注文した。

お金を貯める時期に入ろうと思っているのに、罪悪感を感じるほど次々と買い物してしまっている。