2023/07/07

いつかこうなることはなんとなく予感していたけれど、ついにきたか。

自分はほんとつくづく不器用な人間で、どうしようもなく融通がきかないなと思う。

こうなった以上とことん自分を貫くしかない。

自分を信じろ。貫き通すのみ。

自分のやるべき仕事をやるのみ。

他人が陰でなにを言っていても関係ない。

見る人は見ているし、自分はそんなにも弱くない。

正直「もう知らんわ、アホ」と投げ出したい。腹立つし、お前の何倍も苦労して働いとるわと言ってやりたい。

全て見放して自分のやることだけやったら良いのではないかと思ったりもする。

あんなやつほんとどうでもいいやんか。

また自分だけの世界にこもって力を蓄えよう。

自分にはチャリと哲学があるではないか。

いや、チャリと哲学があってくれてほんとうによかった、ありがとう。

所詮すべては些細なことに過ぎないではないか。

自分はもっと大局を見なくてはならない。

解釈は一つではないはずだ。

もっと別の解釈もあれば、別の抽象化の道もある。

全然眠れない。

以前だったら眠れないことを客観視できずに、狼狽えていたところだが、それはなくなった。

「それは当然そうなるよなぁ」という感じで自分で自分を見つめているような感覚になっている。

以前はそんなに冷静に落ち着いていられなかったが、これは自分が変化したということで良いのではないか。

人間って変われるものなんやな。

2023/07/08

ネガティブケイパビリティ:問題を宙ぶらりんにさせる能力。答えを出さずに留保できる力。エポケー。

ポシティブケイパビリティ:問題発見、問題解決力。

ウェルビーイング:調和、バランス。数字の奴隷にならないとは、自らを俯瞰して、常に移ろっていること。一つに規定されないこと。アートとサイエンスの間を行き来すること。

外部の脅威を我々はどこまで認識するか。

いろんな尺度をもっていいのは平和なとき。組織がまとまりづらいし、答えを出しづらくなる。

ところが、何か明確な脅威を感じ始めると人は、尺度を一本化せざるをえなくなる。

ネガティブケイパビリティを発揮しづらくなる。例えるとそれは死ぬかもしれないのになんのアクションもしないということ。

何かから逃げなくてはいけなかったり、危機に瀕していたり、脅威を感じていたりすると、それだけで人はIQが下がる。

つまり、なにか危機に遭遇した時に本能的には短期的な危機回避行動をとってしまう。

調和、バランスを失ってしまう。

「不足していると行動が変わってしまう。」

科学や宗教は認知負荷を下げるためにある。

時に本能を回避することができるか否かが人間とそれ以外を分ける。

意味のある混沌。

何をどうすれば良いかわからない状況こそ次の道が開けるチャンスであるというのは、一つのパターンである。

とにかくやりつづけること、やめないこと、諦めてしまわないこと。

2023/07/08

自分は確かに何かを恐怖しているようだが、何を怖がっているのか。

職場での評判が悪くなることを恐れているのか。

いや、自分自身が仕事に押しつぶされそうになってしまう未来を想像して恐怖しているんだと思う。

いつまでも今の自分にとってやりやすい環境で仕事ができるわけではないことをなんとなく予感しているのだろう。