2023/07/09
「超相対性理論」の第一話を聴きなおしていて思ったこと。
スピノザの超越神と自由意志を削除するという世界像は、「ネガティブケイパビリティ」という考えと親和性が高いと感じた。
つまり、何か人間の個人の意志による具体的なアクションによって、状況を変化させることはそもそもできないのだということ。
世界は一個人の意志の力では何も変わらない。広大な因果的連結全体によって既に決定されている。
すなわち、もっとこうしたほうがいいのではないか?とか、あの人に働きかけてなんとか行動を変えさせたいとか、思ったところで脳のリソースの無駄遣いにしかならない。
そんなことよりも自分にとってもっとワクワクするような魅力を感じることにリソースを投入したほうがいい。
それは、とりもなおさずネガティブケイパビリティにおける問題を宙ぶらりんにさせる能力であり、答えを出さずに留保できる力ともいいかえることができるのではないか。
何かから逃げなくてはいけなかったり、危機に瀕していたり、脅威を感じていたりすると、本能的に短期的な危機回避行動をとってしまい、ネガティブケイパビリティを発揮しづらくなる。
つまり、なにか危機に遭遇した時にどれだけネガティブケイパビリティ的な自己の状態を維持できるかということが人間には問われている。
そのために、スピノザの「超越神と自由意志の削除」という世界像を利用できるのではないだろうかということ。
2023/07/11
自分の中でスピノザの「因果的連結」のイメージは「平面(二次元)」上に広がるものであったが果たしてそうか。
もしかしたら、「平面」ではなく、「立体(三次元)」である可能性や、「階層構造」になっている可能性もあるのか。
そうか。逆に一次元(直線)なんや。
2023/07/12
3日チャリに乗っていない。
2日目くらいまでは読書も捗って、筋トレと読書で日々を回した方がいいんではないかと思うくらいだったが、
3日目の今日に至って、何か物足りないという感覚が出てきている。
適度なバランスを探っていきたい。
「スピノザ学基礎論」も佳境。
二重因果や、属性の問題について、これまでの研究者の解釈と筆者の解釈について記述されているが、
印象としては、最終的に筆者のモデルに関しても、一つの解釈例という範疇を抜け出せてはいないのではないかというところ。
スピノザの言わんとするそれは、もはや人間に言語化できる領域ではないのではないかと思ってしまう。
だからこそ、スピノザ自身の言葉にも矛盾と思われる箇所が多く残っていて、後世のどんなに明晰な研究者が考えたところで結論のでない、もはや言語化してはいけない、そうではなく感覚でわかる部分になってくるのではないだろうか、と思ってしまった。