写真と言葉で日々を記録する。

  • 日常66

    日常66

    ホームページのギャラリーを少し更新した。

    いつの間にかGR3を買ってから一年が過ぎていた。

    この一年、外出はほとんどGR3を持って出かけた。

    一枚も撮らない日もあったがポケットには常に入っている。

    今思うことは、なにか撮りたいシーン、撮りたいものに出くわしたから撮るのではない。

    何はなくともまずは、カメラをポケットから取り出し電源をいれる。

    撮りたいものがあるかどうかではない。なんでもいいから一枚撮ってみる。

    そのシーンでの最適な設定を無意識的に探し始める自分がいる。

    意識が撮影モードに切り替わり、被写体を探し始める。

    次の一枚を撮る。

    あとは、何も考えなくともつぎつぎと撮れるようになる。

    いいと思える写真が撮れなくていい。

    いいと思える写真が撮れたらもっといい。

    写真を撮るという行為自体が癒しである。

    自分の写真は自己満足であり、思い出の保存である。

  • 野心


    人の価値観なんて簡単に変わる。

    今は元気に働けることをただただ幸せに思う。

    いつまでもこんな職場が続けば良いが世の中そんなに甘くはないとも思う。

    仕事のやり方も、知識も、取り組み方も常にブラッシュアップしていかなければならない。

    本を読むようになって以前よりも人の気持ちを思いやることができるようになった。

    自分の立場だけで考えるのではなく、他者の立場を思いやること。

    自分という人間はとにかくすぐに忘れる。

    毎日磨かなければ、すぐに錆びる。

    しかし、だからこそ新鮮な気持ちを持ち続けられるし、それは忍耐力にも繋がっている。

    自分にしかできないやり方で職場に貢献できることがこんなにうれしいことはない。

    そして、オンがあればオフもある。

    オフの過ごし方が重要であることはわかっているがなかなか掴みきれていない。

    時間を持て余している。

    やらなければならないことはたくさんあるような気がするが行動に起こすことができていない。

    クライミングに、自転車に、写真。

    いまいちどっちつかずの状態を維持している。

    当ブログの「365」もいつの間にか毎日更新ができなくなっている。

    やはり、このどっちつかずの状態を打破し、次のステップに進むためには目標をもって前に進まねばならない。

    今の自分にないのは、目標なのだ。野心と言っても良い。

    中途半端な承認欲求を自覚してしまって以来、クライミングは承認欲求を満たすためだけの道具に成り果て、

    まったく楽しめなくなってしまった。

    やはり、写真か。

    まずは、撮影にいくという習慣をつけなければならない。

    「良い写真が撮りたい」ここにどれだけモチベーションを持てるか。

    そのためなら何を犠牲にできるか。

    すべてを犠牲にしても良い写真が撮りたいと思うことができるか。

    全てを犠牲にしても手に入れたいものはあるか。

    ならば、そのために全力を尽くそう。

  • ブログの時代


    昔、クライマーのブログを読むのが好きだった。

    そのころはSNSなどなくブログが全盛の時代だった。

    クライマーの書く文章はおもしろく、適度にぶっ飛んでいて、笑える。

    自由であり、世間の常識からは少し外れていた。

    クライマーたちが織りなすブログ間でのコミュニケーションも盛んだったように思う。

    いつかは自分もこんな文章を書いてみたいと思ったものだ。

    時代は移り、今日では情報発信といえばツイッターにインスタグラム。

    SNSの台頭許し、ブログはマイナーな存在に甘んじている。

    Twitterは140文字の大喜利大会と化し、インスタグラムはドヤ写真の墓場。

    物足りない。

    みんな、流されすぎじゃない。

    ほんとにそれが面白いの?

    その情報発信で満足できてるの?

    小手先の承認欲求を満たすツールに振り回されて、そのうちに大事な時間過ぎ去ってしまうよ。

    昔はよかったとほざくジジイになってしまったが、心からそう思う。

    一昔前の世界線のほうが面白くなかったか。

    mixi全盛期あたりの時期が一番おもしろかったと思う。

    ブログの時代また来ないかなぁ。

  • ワームホール


    自分に自信がない時、コンディションが万全でない時に限って言わなくとも良いことを言ってしまう。

    相手がどう思っているかはわからない。

    自分がどう思っているかもわからない。

    ほんとうの自分の願望はなんなのだろう。

    すべてはもやに包まれている。

    ただとっかかりがあるだけ。

    そのとっかかりを離さず、細い糸をたぐっていく。

    その先に何があるのか。

    これは突き当たりなのか、それともまだまだ先はあるのか。

    その瞬間の直感を信じて突き進むのみ。

    正しい直感に辿り着けるよう精進するのみ。

    自分はどう思うんだ。どう感じるんだ。

    どっち派もこっち派もない。皆それぞれの立場で最善を尽くしていると思う。

    確かに楽をしたい考えが見え隠れする時もある。自分が助けてもらう時も多い。

    なら、自分に余裕がある時は全力で助けてあげられる人間でありたい。

    この場所にいなくてはならない人間になりたい、と思えている今に乾杯。

    この人間の「もっともっと」という気持ちには際限がない。

    終わりなき沼に足を踏み入れてはならない。

  • エントロピー


    本を読んでいて何か集中できない時は多い。

    それは集中して読書できているときに初めて気づく。

    頭の中に雑音がなく、すんなりと文章が入ってくる。

    心地が良い。

    しかし、頭の中の雑音を消すことは容易ではない。

    定期的に頭の雑音を消していかないとどんどん溜まっていく。

    そして、ある一定量を超えるとパンクする。こころが壊れる。

    こころが壊れると身体も壊れる。悪循環に陥る。

    人によって雑音の消し方はさまざまである。

    運動をする。

    音楽を聴く。

    読書をする。

    文章を書く。

    日々頭の中にある雑音を消しながら、毎日を凌いでいく。

    ひと対ひとは一瞬一瞬が勝負。

    一瞬間を無限にも拡大して、機会をとらえる。

    タイミングをのがしてはならない。

    そのチャンスは二度とは訪れない。

    そして自分にはそのチャンスを見逃すことができるのだろうか。

  • 読書と実践


    自分で自分を騙す。

    うまく騙す。

    自分の考え方や感じ方は思い込みが大方を占めている。

    なんでもかんでも都合の良い方に思い込む。

    それでうまくいく時もあれば、行かない時も当然ある。

    でもまずは、良い方に考えたい。

    良い方にとって、精一杯動いてみる。

    少しでも良い方向に導けるように努力する。

    できることは全てやるつもりで一生懸命生きる。

    それでも、ダメならやり方を変えてみる。

    そういう考え方ができている時点で、今は良い流れがきているのではないか。

    物事には必ず原因と結果があり、起こった出来事には必ず理由があるはず。

    自分にできるのは、読書と実践。

    実践とは、家庭であり、仕事であり、文章を書くことである。

  • 足るを知る


    「幸福は苦痛を伴い、平和は倦怠を伴うとすれば、」

    自分という人間は足るを知らない。

    足るを知れ。

    次から次へと欲をだすな。

    と思ってみたところで、なんにもならない。

    時が解決してくれるはず。

    全ては移り変わる。

    移り変わると確信できることが、助けになることもある。

    すべては気のせい。壮大な勘違い。

    でも、足るを知った良い子ちゃんはつまらんな。

    バカでもどこまでも貪欲なほうがすきやな。

    どうせ生きていくんやから楽しんだ方がいいよな。

    よくわからん、ねよう。

  • 日常65

    日常65

    土間に置く椅子を探してひとりで、三宮をぶらぶら歩いた。

    街には人が戻りつつあった。

    ひとりって寂しいもんだ。

    個性的なカッコして、闊歩する若者たちが眩しい。

    今の若者のファッションが好きだ。

    みんな個性的で自由でかっこいい。

    結局椅子は見つからなかったが、ぶらぶら歩いて写真をとって時間をつぶした。

    ひとりで歩く都会はそれなりに絶望的な気持ちにさせてくれる。

    周りに幸せそうなカップルとかグループが大勢いて、自らの孤独を明確に意識させられるのだ。

    家に帰れば奥さんが待っていてくれるのにこの寂しさはなんだ。

    なぜこんなにも孤独を感じなくてはならないのだ。

    10年前に夢見たことなんてほとんど叶ってる今に、何か不満でもあるというのだろうか。

    早く家に帰ろう。少しでも孤独から逃れられるほうに。

  • テック系Podcast


    テック系Podcastを聴いている。

    rebuild FMとかbackspace FMの楽しみ方って基本的に話の半分くらい(rebuildに至っては3割くらい)しか理解できないけど、自分の知識が増えて以前だったらわからなかった話を、たまに理解できた瞬間にあるよね。

    OSのアップデートによるUIの変更によってユーザー体験がどう変わるか、改悪かどうかとかは基本的に住めば都じゃないけど、慣れ問題ではないかと思うところもあるけれど。

    こういうプログラマの人たちが必死で知恵絞って作ってるだけあって、自分としてはmacOSのUIは感動するほどの完成度。

    でも、たとえば次のアップデートでデザインや、操作性に変更が出た時にそれが不満として出てくるとかはあるだろうな。

    こういう使い勝手とか効率性の話ってその人個人の性格とかスタイルにも左右されそうだし、誰しもにとってベストな最高、最善なUIとかはないんだろうな。

    多くの人にとって使いやすい最大公約数的なところを採用していくセンスの良さみたいなものが必要なんだろう。

    何事もバランス感覚が大切。

    読書をつづけてきて、最近気づいたのは他人に興味が持てるようになってきたということ。

    言葉にするのは難しいが、周りが見えるようになってきた。

    自分と誰かでもいいし、誰かと誰かでもいい。人間関係を良くすることができたら、それはきっと良い仕事につながる。

    でもそれが難しい。仕事において人間関係とは楽しみや喜びにもなれば、苦しみにも悩みにもなる。

    つまり、人間関係がすべて。

    自分は、何も努力せずにうまく世渡りができるタイプではない。

    記憶力も悪いし、コミュニケーション能力は絶望的にない。

    やるべき努力の方向性くらいはわかってきたと思う。

    人っていうのはこうやってうざいおじさんになっていくんやね。

    自分はまだ大丈夫とか思っている時点でもはやアウトなんだろうな。

  • 仕事


    1日の終わりに今日という日を振り返る。

    良いこともあった。楽しいこともあった。

    それら全ては人間関係のことであった。

    仕事がこんなに楽しくて良いのだろうか。

    また、働けると思うとワクワクと

    楽しい気持ちになり、明日に備えようとする。

    今は仕事が中心に回っていると感じる。

    なんというかそれは、これまでにないことであり、まさかそんな日が来ようとは思ってもみなかった。

    もっと役に立ちたいと思うから、もっと仕事ができるようになりたいと思う。

    なんとなくだけど、仕事人生で今が一番いいときなのかもしれない。

    いつかきっと終わりは来るから、今を大切に働いていきたい。

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