
前輪交換とノーブレ化

2023/05/16
今日は歯車が狂ってる。朝からうまく回っていない。
何もかもが後手後手に回っている感じ。
今すぐ動けば間に合うのに悩んで動かず、気づいた時には時すでに遅し。
でもまだ間に合うだろ、動け自分。
とここまで書いて、やっと行く気になってなんとか本日のミッション完了。
カンザキバイクでA-CLASSタイヤ2本購入。
今日は読書一切しなかった。というかする気持ちにならなかった。
あのカンザキ行くかどうか迷った瞬間、メモをとったことで行動に移ることができたような気がする/
文章として書くことで自分の思いを自分のなかで咀嚼できる。
とにかく書いとけばいいみたいなところはある。
寂しくないと問いが生まれない。
寂しさを無闇に満たしてはいけない。
欲求を無闇に満たしてはいけない、
2023/05/17
目覚まし前に自動的に目覚めた。
最近は夜眠れている。
朝乗った。
一進一退って感じで、なかなかうまくはならないと感じつつも、まあ運動になってるしいいかと言う気分もある。
仕事だるい。
今日頑張ったら明日はスペースアークで前輪交換や。
2023/05/18
一流信仰。
三流がいいんだ。
何かを極められないことを前向きにとらえる。
一流であるためには世の中の他己評価が大切。
三流は他人がどうかではなく、自分が楽しいかどうかを突き進む。自分がいいと思えることに立ち会える。
自分の一流信仰を解脱するというのは、他己評価を忘れるという非常に怖いステップを踏まなくてはいけない。
他己評価から逃れることは孤独。それは自分に対する信頼が必要。
守るものがないと言うことに気づくことが大切。いくら守ろうと頑張ってもどうせ守れない。
横断知の価値が相対的にあがって、専門知の価値が相対的に下がってきている。
ある意味広く浅くで、自分の興味の赴くままに、気ままに肩肘張らず、読んでいけばいいのでは。
2023/05/18②
スペースアークで前輪の交換をしてもらった。
そして、ノーブレーキにした。
もはや後戻りはできん。(できるけど…)
インスタでちょっと自分好みすぎる、オリジナリティの塊な乗り方の人を見つけた。
forkone_さん
『僕は飽きやすいだけよ。一度できたものは体力落ちたり太りすぎたりしない限り絶対に忘れないの知ってるから別にそれはそれでいい。僕なりの解釈だけどトリックは一度メイクして動画に収めたらほぼ終わり。
おんなじルーティンの反復練習して大会出したりはしない。
好きな技は自然と何度もやるから勝手に覚える。
好きなことをやってるだけだから乗らなくたっていい。』
推しや。
アキラさんにまたいろいろと教えてもらう。
バランスポイントに入って、バランスからズレかけたら、脱力してバランスポイントに復帰するタイプと、漕いで復帰するタイプの動き。
要は使い分けなんだと思う。
上半身はぶらぶらするくらい極力脱力。
2023/05/19
自分にとって、止むに止まれぬ、誰にも頼まれず、溢れ出るかの如くやってしまうことになっているか。
BMXは。読書は。書くことは。
昨日、スペースアークでアキラさんと接して感じたのは、なんというか時間の流れ方が全然違うということ。
自分はなんかセコセコしていて、とにかく時間を無駄にしたくない、何か有益なことで時間を埋めていないと気が済まない切迫感みたいなものに取り憑かれている。
対してアキラさんは、もっと自由な、囚われていない感じ。
自分のチャリが一番かっこいい。
眺めているだけでもテンション上がるし、ただ乗っているだけで上がる。
自分の分身と呼べるほどに乗りこなしてみたい。
チャリに乗れることに感謝。出会えたことに感謝。健康に感謝。
だがしかし、この喪失感、物足りなさが満たされることはない。
2023/05/20
前輪を変えて初ライド。
最初前輪変えたことを忘れていた、というよりノーブレーキにした方がインパクトが大きくてそっちにばかり意識がいっていた。
でも後で思い返してみると、全体的に安定感が増していた。各技で新しい感覚があった。
ウィップラッシュもバランスが取りやすくなっていた。
スチームからヒッチハイカーの入り(入りの時に右足で踏み込む感覚)も、マックサークルでも新しい感覚(軸足にグーっと体重をかけ続ける感覚)があった。
スチームローラーでの漕ぎの感覚(右足を左側に入れては外す感覚)も少し感じた。
思い返すと明らかに全体的にワンランク上がっている。
ノーブレーキでのトリックに関して違和感はほぼない。
これ以上なくシンプルになったことで、これでやれることを極めるんだというスッキリ感。
ごちゃごちゃ考えていたのがアホらしい。自分はノーブレーキでいくんだ。
昼から兵庫県立美術館でゴッホ・アライブ展。
新しい体験だった。
ゴッホの苦悩、試行錯誤、やりきれない思い、空虚感、それでも描き続けずにはいられない運命。
若い時代の凡庸なタッチからゴッホのオリジナリティともいえるタッチに変わっていく変遷を体感した。
「守・破・離」。
どんなに苦しくとも毎日毎日ひたすらに描き続けたんだなぁと思う。
苦しんで苦しんで、それでも毎日毎日絵に向き合い続けたからこそ、自分のタッチ、オリジナリティが自然と湧き上がってきたのだろうと思う。
そのように自分も今やっていることに向き合っていきたい。
自分もBMX、哲学、書くことに本気で向き合わなくては。
























大喧嘩
2023/05/13
朝は乗った。とりあえず乗っただけでも偉いじゃないか自分。
初めてスチームからヒッチハイカーへのタイヤ持ち替えまでいけた。
今日は休みで妻が友達と出かけている。自分だけの時間が取れる。
そんな貴重なタイミングに何をするともなく午前中を過ごした。
昼からは少し本でも読もうと思う。
かっこいいことを書こうとするな。
むしゃくしゃとする思いが昨夜から続いていたような気がする。
自然的な欲求に対して自分がどこまで我慢するべきなのか。
たまに全てなくなって、自分自身も消えて無くなって仕舞えばいいのにとか、ふいに思ったりした。
この身体というものはすぐしんどくなったり、いろんな欲求を感じたり、なんともめんどくさいものだなぁと思った。
文章を書くことは、思考力の筋トレであり、自分にとっては精神の癒しでもある。
考えるということを考える。
考えると言うことは「問い」を立てることなのか。
いやそれだけではないだろう。
人間考えないという状態が逆にできないのではないか。
生きている以上常に何かを考えている存在、なにをかんがえたか、それを意識するのは事後的にしか認識できない。
自分が考えたことを結晶化すること。
なんでもいいから、自分が考えたことを書き出すこと、それはラジオで聞いた内容でもいいし、本で読んだことでもいい、自分の100%オリジナルの考えなんてものはないのだから、とにかくなんでも書き出すこと。
そして、それら同士の関係性が自然的に発生してしまい、相互浸透する。
そんなことを毎日毎日、数えきれないほど継続していくうちに何かがぼんやりと形になって現れてくる。
もっと長期的に考えろ、少しの努力を毎日継続するのだ。
だが、あくまでも「言葉」は対象そのものに、決して触れることはできないと言うこともまた真実である。
ベルクソンは、ある時点での対象を言語化し、その語によって、その対象を固定することをきっぱり拒絶していた。
どの世界でもそうだが、一流のパフォーマンスの背景には、努力を努力とも思わない膨大な実践、反復、継続が必ず背景にある。それを実感としてまざまざと感じる。
膨大な実践を継続することが苦痛ではないことを、または実践せずにすませることがどうしてもできないことに自分自身が取り組めていると感じている今は、本当に貴重で幸せだと思う。
2023/05/14
雨で乗らず。
些細なことで妻と大喧嘩。
昔から妻はキレたら物に当たる。
このマンションに越してきてからはそんな大喧嘩はなかったが、今日のはひどかった。
自分は物に対する執着が強いので、物に当たられると自分もブチ切れてしまう。
ひどい怒鳴りあいと、自分は悪くないという不毛なお互いの主張が繰り返されて二人とも疲れ果てて終わる。
本当にやるせない気持ちしか残らない。
冷静になって考えてみると、良いも悪いもないじゃないかと思うのだ。
それぞれの主張なんてものは、それぞれ自分の立場からみた自分に都合のいい解釈にすぎない。
正直、最初にケツをまくってキレた妻に原因があると思うのだがそれも自分の立場からみた一つの解釈にすぎないのだろうか。
無駄に疲れる休日を送った。
どうすればいいのか。
もっと妻のことを見て、話をしっかりと聞くことくらいしか思いつかない。
ただそれをしたとして、見「過ぎる」といけないし、聞き「過ぎる」のもいけない。
それはそれでまた軋轢を産むし、自分自身が疲れ果ててしまうだろう。
本当に気持ちが落ち込む。
なんでこんなことになってしまうのか。
もうやってられるか、と言う気持ちになる。
しかし自分ももういつのまにか取り返しのつかない年齢になってしまったのだな。
こんなことがあると随分と疲弊するのでもう繰り返したくはないが、また繰り返すのだろうな。
本当に憂鬱になるよ。いつの日か死ぬ瞬間自分は振り返って人生をどう思うのだろう。
やりたいことができて幸せだったなと思うのだろうか。
それとも、踏ん切りがつかず惨めな人生だったなと思うのだろうか。
やっと死ねるとホッと一息つけるような気持ちなのだろうか。
それとも、まだまだ生きたいと生に執着し続けているのだろうか。
明日死ぬと言われたらどうか。
まだまだやりたいことがあるから、こんなところで死んでたまるか、なんとかして生きてやると思う。
きっと、何十年後死ぬ時も同じような気持ちなのではなかろうか。
そして無常にも死んでいくのだろう。
そんなもんだろう。
あの自分が怒鳴り散らしていた時、自分自身のことを以前職場で理不尽にクレームを言い続けていた客と同じような存在に感じた。
何か自分自身が意地の悪い、悪意の塊のような人間と思えて怖くなった。
いつからこんな人間になってしまったのか。
自分自身のなかにこんなにも醜い塊のようなものがあったのか。
こんな形でそれが引き出されてしまった。
それはある意味、恐怖心ではなかったか。
比喩的な意味ではなく、現実的な意味において自分の身を守るための叫びではなかったか。
それほどまでに妻がキレたら何をするかわからない恐怖ではなかったか。
それじゃあ、尚更自分は自衛のためにある意味当然の行動をしたまでではなかったか。
あと何度こんなことを繰り返さねばならないのだ。
なんとも不毛で、やるせない。
自分に対しても、妻に対しても腹が立って仕方がない。
2023/05/15
今日は晴れてたのに乗りに行かなかった。
よく眠れたとは思う。
昨日の件で気持ちが晴れないが仕事はやってくる。
自分は結婚に向いていなかったのだろうと思う。
根本的に自己中すぎる。他人に興味がなさすぎる。一時的に興味を持ってもそれが持続しない。
妻だと思うからダメなんだと思う。相手を妻と思ったら傲慢にもなるし、不満も出てくる。「お互いに助け合って生きる同居人」他人だから当然敬意を払って接しなければならないし、お互いの時間を尊重しなければいけない。
妻に対してもたれかかりすぎていたのかもしれない。人間結局はひとり。自分だけしか頼りにはならない。
もうそれでいいんじゃない。
利他(道徳、~すべき)を主張する怖さ。息苦しい世の中。
ブレーキ問題で悩んだり、祖母のお見舞いに行ったり。

2023/05/09
今日はいい練習ができた。
マックサークルの切り返しも昨日より断然とよかった。
とにかくハンドルに入れる力をゼロにする意識をしていた。
ハンドルを後ろにも引かず、前にも押さず、体重は前輪の真上に乗っている状態が理想。
上半身は脱力して、軸足に体重を乗せる感覚。
バニーホップの差しの感覚が始めて少しわかった。
2023/05/11
ここ最近ノーブレーキにするのか、フロントブレーキのみでいくのか、レバーは左右どちらか、両レバーか、とかいろいろブレーキどうするか問題で悩んでた。
いろんなライダーの動画見たり、考えたりして自分なりの現時点での結論として、フロントブレーキレバーをハンドル左側から右側に変更し、フロントブレーキのみのセッティングで当面乗ってみることにする。
本音はノーブレーキのシンプルなルックスに憧れるし、スタイル的にもかっこいいが、世間にノーブレーキスタイルが多すぎる。あまのじゃくな自分としては、世間の主流からは外れたところに道を見出したい。
ゆくゆく自分なりの個性を出すことを考えると、ブレーキはあった方がいいのではないか、技のバリエーションも増やせるのではないだろうかと考えた。
あと、行き帰りの安全走行的に最低限フロントブレーキは必要と思う。ノーブレーキで急に止まれる自信はない。
レバーを左から右側に移したのは、いろんな動画をみるなかで、単に好きなライダーに右ブレーキが多かったことと、利き手の右手でブレーキを引くセッティングの方が理にかなっていると思ったこと、またレバーが右側にあった方が、つなぎのバリエーションが多いような気がしたこと(これについては、そんな気がしただけで実際のところはあまり関係ないのかもしれない)
レバーの移設が終わって感じたのは、『しっくり感』。
収まるべきところに『しっくり』と収まった感触がして、さらに自分のバイクに愛着が増した。
2023/05/11②
母方のおばあちゃんのお見舞いに行った。
声をかけても直接的な反応はない。もちろん会話もできないし、理解しているというようなうなずきもない。
でもなにか反応はできないだけでちゃんとわかっている、いや必死で認識を試みようとしているような素振りをしているように自分には思えた。混沌に落ちようとするように、自動的に瞼が閉じてくる。それに抗うように、すこしするとまた意識を取り戻したかように目を開いた。少し自分としっかりと目が合った。あの瞬間は元気な時のおばあちゃんだったと信じたい。








2023/05/12
右ハンドルレバーにして初めてのライド。
新しい感覚があった。
ファイヤーハイドラントが格段にやりやすくなった。前輪の真上に重心を置きやすくなった。
軸足で走行しているタイヤの路面感覚を感じるくらい体重をのせる。
タイヤで地面の感覚がわかるくらいにタイヤに(軸足に)全体重を乗せる。
それを入りの瞬間だけでなく技の切り替えのタイミングや要所要所で常にタイヤで地面を感じてる感覚を持つこと。
その感覚がないならば、重心が軸足に乗っていないのではないか。
スネを怪我した

2023/05/03
今日は久しぶりにスネに深めの怪我をした。
ハイドラントからエルクへの入りで新しい感覚があり、いい感じだなと思っていた矢先、突然ブレーキロックしてチャリの上に転倒。ペグでざっくりとスネをやってしまった。
車体に上から転倒したことからも言えるが、ただ明らかに動きとしては正解に近い感覚があった。
つまり、おおげさにハンドルに上体を被せること。ハイドラントの入りから車体に被さりにいくくらいの感覚で入ること。入りで前後が逆になるので感覚が難しいが、とにかく入りの段階で「車体に上体を被さりにいく」。入りの前も大事やし、回ってからも大事。常に上体を被せつづける位置関係にいること。意識だけではなくで実際にそうできているかが大事。
BMXも哲学もゲームバランスの悪い(難しずぎる)クソゲーである。
しかし、自分にとっては、これくらい難しすぎるほうがやりがいを感じるし、飽きることがない。
違うところといえば、BMXには怪我のリスクがあるということくらいか。
哲学にリスクなんてものがあるのだろうか。

どうしても自分は母が癌になったことを他人事と思えない。
母にとって今、世界は、日常は、家族は、人生は、どのように映っているのだろうか。
特に価値のないものなのだろうか。
それとも、以前よりもきらきらと輝いて見えているのだろうか。
あるいは、絶望に沈んでいるのだろうか、あきらめにも似た脱力感に襲われているのだろうか。
残り時間に対して焦燥感を感じているのだろうか。
人間は、身体というものに魂(自我、意識)が宿っている。あたりまえだが身体がなくては自分ではない。
この自分の身体があって初めて、自分というものは成り立っている。
身体性、スピノザは「身体の観念」というふうに精神を表現した。
自分の中で、何が理解できていて、何が理解できていないのかきちんと整理しなければならない。
その上で、理解できていないこと、納得がいっていないことを納得がいくまで考え続けること。たとえ答えがない問いだとしても、自分に対して問い続ける胆力が必要ということ。
2023/05/04
昨日のチャリの練習で、スチームローラーの入りから、両足スチーム〜ハーフヒッチの流れで、
この前YYカップでみたジュンペイさんのようなスタイル、つまり非常にスローな流れの気持ちよさみたいなものを感じた。
先日スネをしこたまぶつけてから、怪我に対する恐怖感がかなりでている。スネと膝のプロテクターまでポチってしまった。
プロテクターなんてカッコ悪いとか思ってた時もあったけど、怪我して乗れなくなる方が怖い。多少動きづらくなるかもしれないし、装着がめんどうで、真夏とか蒸れそうやけど、怪我するよりは100倍マシ。
別にかっこよさのためだけにやっているわけではない。
長く続けたいのだ。
ただ、プロテクターといい、ブレーキを付ける付けないの問題といい、スタイルに関わってくる部分になるから、自分に問い続けることが大切だと思う。自分にとってのかっこよさとは何かを。
そして、練習するトリックも、なんの忖度もなく、自分が心からかっこいいと思うオリジナリティのある動きを練習していってもいい時期かもしれない。
それは、他人の真似でいい。その人のある特定の部分だけ自分のツボにハマるようなかっこよさを感じる動きっていうものがいくつか出てきてる。それをちゃんと自分の中で意識できているか。
「考える」ということは「(自分自身に)問いを投げかける」ということ。
本で読んだことに対して、問いを持つこと。
午後から両親と、美紀と大阪へお出かけ。
一緒に過ごせたことで少なくとも自分の気持ちは少し落ちついたような気がする。母はどう思ったかわからないけど。
何か特別なことを言ってあげられなくともいい。それでいいんだと思う。特に何を話すとか、どこにいくとか、ではない。一緒の時間を共有できたことがただよかったと思う。




2023/05/06
アニメ「TRIGUN STAMPEDE」を見た。
身体ほどでかい十字架型の銃を背負ったキャラクター(ニコラス・D・ウルフウッド)にかなり惹かれてしまった。
でかい銃を重そうに持ち運ぶ姿が、自分の分身を背負っているように見えた。でかい銃という物体も含めてそのキャラのアイデンティティを構成している感じ。
自分がBMXも含めて自分を構成するようなもので、自分にとってなくてはならない相棒のような存在にBMXがなっていったらかっこいいなと思う。
自分にとってのBMXのかっこよさはそう言った部分にもあると思う。
2023/05/07
お前はヒーローじゃない。ただ目の前で人が傷つくのを見たくない臆病者だ。






5月入った。

2023/04/26
今日も雨。
2日もチャリに乗らないと、ずっと乗らなくてもいいんじゃないのという気にもなってくる。
毎日同じことを継続することは忍耐力がいるし、苦しいことの方が多く、楽しいことばかりではないから。
いつからか乗ることが日常になり、たまに雨で乗れなくてガッツリ読書とか、アウトプットとかをする時間を取れるとそれに充実感を感じてしまう。
でもそれは、ある意味意識のマジックで、それを日常にすると、その時に感じた非日常感という充実感は消えてなくなる。
最近、奥さんに勧められた恋愛漫画を読んでいる。
なんともわかりやすくなんの抵抗感もなく、するすると読み進められる。全く難しくないので、ストレスがかからない。
哲学書とは真逆である。
たまにはこういうのを読むのも良いものだ。
眠いぞ。
この体調の波をどうしたものか。
メンタル的なものと、身体的なものは連動している。
安定とはバランスである。
バランスとは適度ということである。
夜眠れているのに、常に睡眠が足りていないような感覚がある。
睡眠が浅いと言って仕舞えばそれまでだが、自分なりにいろいろと工夫はしているつもりなのだが。
2023/04/27
『没入しているか』
自分が行なっている行為に没入しているか。他のことを考えず、一心不乱に行なっているか。
今思い返すと、すこし前までの自分は没入できていなかったと思う。
読書をしていても、BMXをしていても、何か他のことが気になって行為に集中力を欠いていた。
今行っている行為に自分の全身全霊で立ち向かうこと
2023/04/29



2023/04/30




2023/05/01
どうせ死ぬなら、今やっていることに意味はあるのか。
もっとのほほんと、だらだらと過ごしてもいいのではないのか。
なぜ自分はこんなにも頑張っているのか。
つづくモヤモヤ
2023/04/23
自分は泥船にのっているのだということ。
ただこの泥船は完全にとけて沈没してしまうことはないのだということ。
狭い足場は必ず残るのだ。自分はその足場に悠々と笑って立っていなけらばならない。
そのためには、相当の覚悟が必要であると言うこと。
覚悟というのは自分の仕事を淡々とこなすこと。
身体を壊すほどの仕事を引き受けないこと。
2023/04/24
考えたこと。
自分が今読んでいる哲学者、スピノザやカント、ヘーゲルとかはある意味社会から認知され、承認された者たちである。(たとえ生前ではなかったとしても)
そしてその背後には、自分に、あるいは世界に認知されずに埋もれている哲学者も星の数ほどいる。何も残していないだけで、壮大な哲学体系を構築していた者が過去に埋もれてしまっていることだってあるだろう。
つまり、自分が認知している哲学者とは、ある意味で社会から承認された者たちなのだ。
社会から承認されるとは、どういう意味を持つのか。
それは、ある意味世間馴染みの良い、泥臭さの抜けた、洗練された理論なのではないか。
いや、本当にそうか?
人間の汚い部分や、愚かしい部分に焦点を当てた哲学だってきちんと残っているのではないか。
ホワイトヘッドではないが、過去の全てを包摂した上での哲学が残っていると考えるべきなのではないだろうか。
やっぱり、最終的には今残っている哲学を信じるしかないのだと思う。
なぜ先日の飲み会の場で、チャリの話は盛り上がって、哲学の話は盛り上がらないのか。
その二つの本質的な違いはなんだったのか。
BMXの方はわかりやすい動画というツールがあった。
それに対して、哲学はといえば、自分にとっての哲学の魅力をわかりやすく面白く端的に、皆に共感される形で語るほどの能力がなかった。
そして、そのように語ることができなかったからと言って、哲学というものが魅力がないものであるわけでは決してない。
自分にとってBMXの方が価値があって、哲学の方が価値が低いわけではまったくない。
ちゃんと伝えることができなかったのはきっと自分だけではないはずだ。
自分というものをきちんと表現したいという思いと、それが叶わなかったことに対する後悔みたいなものは誰しもあったはずだ。
表面的に出てきたことはその人の一側面に過ぎないということ。その人の全てを理解することなんて不可能であるということ。
ただ一側面には過ぎないが一つのその人を現していることは間違いない。
しかし選挙事務に行くのはいいな。
なぜなら自分にとってそれはある意味、非日常体験となるから。
その上に小遣いも入るし。
さらに昨日の選挙事務で感じたことは、瞑想をした時のような効果があったのではないかと思う。
身体を動かしたい、今すぐ席を立って他のことをしたいという思いは最初の方はあったが、強制的に単純作業をやり続けることで、午後からはそういった思いがなくなり、ただ流れに身を委ねるような感覚があった。
午前中にあった「眠い」「寒い」「時間が永遠に感じる」などの不快感が嘘のように消えて、研ぎ澄まされるような感覚。
どうにかそれを日常的に再現できないものか。
結局睡眠なんだろうなぁという気がする。
自分の感じたこと、考えたことを文章として書き出すことは自分にとって良い。
それは一つの解釈を、ストーリーを自分の中で作るということである。
そしてその解釈は何パターンあっても良い、むしろ多ければ多いほどよい。
そのストーリーを書き出すことで自分を客観視することもできる。
2023/04/25
雨予報なのでチャリ練なし。
夜寝れた感覚があったのに、朝の頭が混乱している感覚はなくならない。
頭にモヤがかかったような、すっきりしない感覚。
頭がはっきりしている時間もあるからこそ、混乱している状態がつらい。
自分の感覚、感情を書き出すこと。
朝窓際に椅子を持って行き読書。
フッサールを読み始めた。
しかし新しい哲学者に手を出すのはこれくらいにしておこう。
手を広げ過ぎているとも言えるかもしれない。
今まで買った本の内容の半分も理解できているのだろうか。
これまで買った本を読み返し、理解を深めるということが必要であって、当分の間は新たな本を買う必要はないと思う。(どうしても欲しい本以外は…)
今家にある本を何度も何度も読み返し、自分の血肉とすることができれば、どんなことが起こるだろうか。すこしわくわくするではないか。
ただ重要なのは、内容を理解して「読める」ということなのであって、その内容を記憶しておく必要はないということ。自分の中で言語化して、記憶して、他人に説明できるところまでいけばそれは良いのだろうが、まずは話がわかること、その哲学者の思想を正しく完全に理解することは不可能としても、一般的に専門家の中で主要な議論の対象となっているトピックについて、わかっている状態。
一言で言うと、『その哲学者の書いた本を読めるようになること』
趣味なんだし、そこがゴールでも全然いいと思っている。
2023/04/25②
哲学もBMXと一緒で数年で成果が出るような甘いものではない。
数十年単位に及ぶ継続的な努力をしてやっと何か出てくるものがあるのではないか。
幸いまだ自分にはそれを試すだけの時間はある。人生をかけて、それをした時なにが出てくるか人生を賭けて試してみようではないか。
自分にとって同じくらいの時期に始めたということもあってか、どうしてもBMXと哲学を関連づけて考えてしまう。
BMXに関して、今自分でも驚くほど上達してきている。
でも振り返って思い出してみると、これまでの道は険しかった。
本当にこの技を練習し続けて、いつかできるようになる日が来るのだろうか、と何度も思った。
でも毎日やり続けたらできる日が来た。
こんなことやって意味あるのか、本当にできるように、読めるようになるのか、と誰もが思うがそこでやめてしまうか、継続してやりつづけるか。
「継続して努力しつづけていれば必ずできるようになる。」一言でいうとBMXから自分はそれを学んだ。
悪い知らせ
2023/04/20
夜中に目が覚めた。
久しぶりだ。
こういうときは無理に寝ようとしてもダメだ。
一度起き上がって、白湯をのみ、読書をする。ひとしきり読んでたら眠たくなってきてまた眠れる。
言語化は難しいが、なんとなく自分のサイクルがわかってきた。
昨日もいろいろとあった。
私に対する悪意を感じることもある。それはそれで仕方がないと思う。自分に原因があることも自覚している。
自分にとっての最善を尽くした結果なのだから、どうしようもないし、それは必然的なことなのだと思う。
自分が係長になった時のことを想像すると怖くなる。
仕事量は圧倒的に増え、責任は重くなり、周りからの目線は厳しくなる。そんな状況に自分は耐えられるのか。
何よりも恐れているのは、残業が増えること。今の生活サイクルがくずれること。
自分は他人よりも長時間の睡眠が必要だということがわかってきたし、自転車に乗ったり、読書をしたりと自分だけの時間が絶対に必要であると言うこともわかってきた。
今は、そう言う時間を取ることがあたりまえにできているし、そう言う日常に馴染んでいる。
なによりもそう言う時間をとれなくなることを恐れている。
40歳、50歳になっても係長にならずに、平の職員としていつまでも働くという道もある。
それが悪いこととは思わないが、初めから昇進したくないと希望を出しておくと言うのは少し違う気がする。
挑戦はするべきだ。
その結果、潰れて平に落ちるならそれはそれで一つの結果として受け入れられる。
最初から挑戦しないのは、違うのではないか。
2023/04/20
きょうはいろいろありすぎてパンク状態。
まず、朝一マックサークルの切り返し戻り初メイク。
昨夜あまり寝れなかったからか仕事の調子は最悪。
めまいと不安感と頭が真っ白で仕事にならない。
メンタルが良くない。
明日、飲み会があることを無意識的にストレスに感じてしまっているのだろうか。
あいかわらずミス連発。つらいしか感じない。同僚に嘘もついてしまった。自分最低。
仕事をなんとか終えたと思ったら、自分の心が弱っているときに追い討ちをかけるように
お母さんの肺がんの知らせを受ける。
絶望という気持ちのなんたるかを知る。
ほんとうに自分が消えてなくなりたい気分とはこのこと。
やるせない気持ちといってしまえばあっさりしたものだが、ここ最近人間の不条理をまざまざと突きつけられる体験が多いような気がする。
どうすることもできないのはわかっているが自分にも、悔しい気持ち、やるせない気持ち、なんとかしてあげたい気持ちは湧き上がってくる。
そんな気持ちはなんの役にも立たないし、なんの意味もない。
自分にできることはなにか。
この親不孝ものが今更なにを言っているのか。
結局病気にならないと、ろくに会いにもいかなかったではないか。
自分は人間のクズだ。
2023/04/22
飲み会終わった。
今回も引かれる発言してしまったけど、まあ楽しかったな。
それも含めての自分ということで受け入れてもらえるかどうかというところか。
やっと、企画した飲み会も全て終わり。繁忙期も終わり。
相変わらず仕事は前途多難だが、ちょっと自分に集中しようと思う。
最近読書量が減っている。また哲学研究にも真剣に取り組みたい。
毎回の、飲み会のあとの自己嫌悪と、頭の中を記憶の永遠ループのターンが入る。
もう慣れた。
チャリ乗りに行こ。
哲学のどこに自分が惹かれているのかこれまで言語化することはなかった。
飲み会でその話を少ししたことで自分が哲学のどこに魅力を感じていたのか再考できた。
要は、難しいこと、初めはほとんど理解できない本が、勉強を継続していくことによって、読めるようになる、理解できるようになる経験を求めているのではないだろうかということ。
根本的にはBMXと一緒ではないのか。
2023/04/22②
『承認欲求が強い事と、自分が他人の目を気にしすぎる事。それは、母からの教育の影響なのか。
自分はこどものころ母から承認されることが少なかったのだろうと思う。
母はヒステリーなところがあったし、何時間も勉強や、習い事で母に泣かされながら、嫌嫌やらされていた記憶がある。かなり母の顔色を伺って生活していたのだと思う。
それは、母親に承認されていないという認識を自分の根底深くに刻み込んだのだろう。
今自分は、他人の目を気にして、なんとか嫌われたくはない、たくさんの人に認められたいと無意識的に考えずには居られないことの根底には、幼少のころの経験が間違いなく関わっているのだろう。
改めて考えると、自分の人生とはその思いとの、格闘の歴史と言っても良いのではないか。
常に自分の根底に根を張って、自分の行動を左右する意識。
そんなものに左右されたくはないといくら強く願おうとも決して逃れることのできない呪縛。
だからといって今、母を憎んでいるわけでは決してない。
自分の理想の押し付けといってしまえばそれまでだが、母は母なりに精一杯子育てをしたのだろう。
愛がなかったわけではないと信じている。
ただ本当に人生とは残酷で、不条理なものだと思う。』
というストーリーで自分の幼少期を解釈したわけだ。自分は。
『複数の解釈の尺度、パターンの多い尺度で一つの事実を解釈することが大事。
人間には認識で、自分のストーリーを作る以外の方法はないということ。
つまり、あるがままの経験なんてものは不可能だということ。
悲観的になりすぎないこと。
悲観的に見すぎるという行為は、メンタルの自傷行為である。
悲観的に見る方が自分にとってコンフォートであるという構造が出来上がってしまっている。』
なぜ人間は人生を悲観的に見る傾向にあるのだろうか。
それは、世間に悲観的な見方があふれかえっているから。
無意識的に影響を受けてしまっている。
あと思うのは、自分が哲学書で学んだことを自分の日常生活に当てはめて考える努力が必要ということ。
それは、本を読んでいるとき以外に本で読んだ内容を思い出す必要があり、記憶の定着の面でも有効。
引き続き疲れている
2023/04/17
昨夜はぐっすりと眠れた。
自分にとって内省することとは、このように自分の気持ちを書き出すこと。
どんな些細なことでも自分が思ったことを捉えて書き出すこと。
でも本当に純粋に自分の中だけから出てくることなんてあるのだろうか。
日々、読んでいる本や、SNSなど様々な媒体によって影響を受け、考え方を規定されている。
人間である以上、それらの「受動」からは逃れることができない。
これは、スピノザの言っていることと自分の実感が一致する。
では、スピノザがその先で言っている「能動」とはなんなのだろうか。
これが、「純粋に自分の中だけから出てくること」なんだろうとは思う。
しかし、我々はそれをどう区別すれば良いのだろうか。
この感情は「受動」によって発生したもので、この感情は純粋に自分の中だけから出てきた「能動」であると区別して認識することが可能なのだろうか。
能動について、スピノザは神(実体)から直接でてくるもの、という言い方をしていたように思う。
言い換えると、「神(実体)を認識すること」になるのか。
もう少し言うと、「神の必然性を念頭においておくこと」になるのか。
2023/04/17②
ぐったりと疲れた。
自分はどう思うのか。
係長はもう一杯一杯だと思う。
これ以上負担がかかったら潰れてしまう。
なんとか負担を軽くせねばならない。
いつか自分が係長になる時が来る。
自分に務まるのだろうか。
本当に大変な立場だ。
とても自分に務まるとは思えない。
今職場で誰が一番しんどいか。
間違いなく、係長だろう。
2023/04/18
色々とない頭で考えて、やっぱり読書は大事だと思った。
何が大事かって、わからないものを分かろうとする努力が大切ということだと思う。
わからないなりに挑戦するということ。しかもそれを継続すると言うこと。
あきらめないということ。
2023/04/19
やばい、ちょっと余裕がないぞ、今日。
もう仕事にいく時間ではないか。
疲れてるw
2023/04/15②
なぜっこんなにもしんどいのか。
それは自分が物事の核心にちかづいているからではないのか。
あと、このマンションに引っ越しをして圧倒的に暮らしが快適になった。生活の雑務に割くリソースが明らかに少なくなり、暑い寒いのつらさが少なくなった。
それは、メリットである反面、自然からの乖離をも意味しているのかもしれない。
環境の変化への適応能力の低下を招いているのかもしれない。
2023/04/16①
新しいハブが良い。
当たり前だけど、きっちりフリーコースターハブとして機能する。
踏み込みの遊びがほぼないのが良すぎる。
転がりがよくなったためか、マニュアルのバランスも取りやすくなった。
静かめのカラカラ音が気に入った。
別の自転車に乗り換えたくらいの乗り味の快適感。ハブだけでこんなにも変わるものなのか。
2023/04/16②
人は自分を偽って生きている。
自分も職場では必死で自分を偽って生きているのだろうか。
少なくとも、自分の弱い部分、嫌な部分をできるだけ見せまいと気張って働いていることには違いない。
むしろBMXも読書も、仕事で少しでもよく見られたいがために頑張っているようなところがある。
本当の自分は強くなんてないし、根暗で、人によって態度を変えるような嫌な奴なのだ。でもどっちが本当のじぶんなんだろう。
意識をせずにいたってナチュラルに朗らかで、明るくいられる瞬間だってあるし、頑張って無理をしてそういう自分を保とうと努力しているときだってある。
性格の悪い、意地悪な態度をとってしまっているときもある。
どっちも自分なのだ。
自分のことが完全にわかったと、理解できることはないし、全くわからないと諦めてしまう必要もない。
本当の自分を『問い続けること』。
自分なんて所詮はこんなもんだと、決めつけてしまうこともなく、自分について判断を下す必要もない。
今日も、明日も自分に問い続けること。
世の中は不条理に満ちている。
今日もどこかで、何も悪いことをしていない善良な人が痛い目をみて、ずる賢い人が甘い汁を吸っている。
不条理に満ち満ちている。
どうしようもない矛盾を抱え、理不尽に苦しみ、死んでいく人がいる。
どんなに共感し、同情し、なんとかしてあげたいと願ったところで、どうしようもないことが存在している。
そういうことが本当にあるんだということから逃げないこと。
その上で自分にできる最善をつくすということ。それでどういう結果になろうが自分の知ったことではない。
後輪変えたよ。

2023/04/06
今は耐える時やぞ、自分。
自分のやるべきことを淡々とこなしていけばよし。
2023/04/11
職場がカオス。
一日へとへとに疲れても、翌朝チャリ乗ったらある程度回復しているからなんとかやっていけている。
本当にBMXに助けられている。
なんとか乗り切ろうとおもう。
2023/04/13
人が変われば、雰囲気は一瞬で変わる。
でも、自分さえしっかりしていれば、なんの問題もない。
確固たる自分を維持できさえすれば新しい雰囲気でものりこなせる。
なんにせよ、変わる環境と変わらない自分。
2023/04/14
すべての歯車が噛み合ったようにうまくことが進んだ一日になった。
スペースアークで後輪を組んでもらった。サンダーでフレームのエンド幅を14ミリに削る工程もびっくりするほどうまくいったとのこと。
フリーコースターハブは中古の『SKAPEGOAT×90EAST』で元の所有者は「mo_rich0127」さんとのこと。いつかお会いしてお礼を言いたいものだ。
このハブに印字されている文字も、なんか初めて見たような気がしない。自分が使うことがあらかじめ決まっていたような、妙な既視感がある。不思議だ。
ホイールの組み方をおしえてもらい、ポイントは動画にも撮ることができたので、次回から自分でもできる気がする。
自分のメンタルもよく、うまく話せた。
その後、有名ライダー、ブルーノ・ホフマンが来て握手できた。優しい良い目をしていたことが印象に残った。
連れの日本人のストリートな雰囲気といい、自分とは違う世界にいる人種の生活感を感じることができた。
ハブといい、握手といい、BMXのスピリット的なものが手を通して自分の中に流れ込んできて、自分もBMXシーンで存在感をだせるような存在になれたらいいな。
結局、雨にも一滴も降られなかった。
すべてがあらかじめ決まっていたような、必然性を感じるような不思議な感覚の一日。
岡村さんにもなんとなく伝わっていたような気がする。
スペースアークに行くたびに思う、何かよい運命めいたもの、兆しを感じる。
ごく稀にある自分が自分ではないような奇跡みたいな不思議な一日だった。
2023/04/15
昨日とは打って変わってメンタルが最悪。
雨で気圧が低いからなのか。
昔はこんなことなかった。
これは歳だからなのか。
年々少しずつメンタルが削られていっているような感覚がある。
しかし、最近の周囲の状況に対してものすごい閉塞感を感じている。
この感覚は自分のメンタルが悪い故の、気のせいであってほしいとは思うがおそらく現実なんだろうと思う。
人間の心が危機に瀕している。みんな壊れかけ。本当にどうしようも無くなってしまう状況に全速力で進んで行っている感覚。
理不尽で、悲惨なことが普通に起こってくる。それが異常なことであるという感覚すらなくなってしまうことが怖い。
集団心理なんて、情報操作でなんとでもなるのだろうし、もうすでに完全にコントロール下に置かれていると思う。
チャリ乗って、本読んでなんとかニュートラルを、正気を保たねばならない。
とにかくできるだけSNSや世間のニュースからは距離をおいた方が良い。
こんなこと書いてる時点で、もうすでに妄想癖やばくね。鬱だわ。
『ひとのこころ』をなくしてはいけない。


