MacBook Air がきた。

その白いシンプルすぎる外箱を開ける。

ピッタリと作られているので、

まるでミリ単位でけずられ、合わせられた工芸品の茶瓶の蓋を開ける時のような気持ちの良い音を聞く。

薄いフィルムで覆われた本体が姿をあらわす。

わくわくしている。

間違いなくAppleはこの開封の儀を極めて重要なユーザー体験と認識している。

上質なものを手にしているんだという感覚を作為的にいだかせる仕掛けだ。

シンプリシティーと精密さ。

その企業理念の徹底に圧倒させられる。

一事が万事。当然のごとくなにものにも妥協はしない。

その恐ろしいまでのストイシズムがびしびしと伝わってくる。

本体を持ち上げ、フィルムをはずす。

そんなに、軽くはない。

凝縮された金属の塊。

この上なく洗練されている。

ひとまず、落ち着こう。

付属品は充電ケーブルとアダプタ、簡素なスタートアップガイド、アップルマークのステッカーのみ。

もはや、シンプルすぎて不親切。割り切りが半端ではない。

分厚い説明書なんていらないと。

わかる奴だけ使えと。ついてこれる奴だけついてこいということか。

おもむろに親指で画面を開く。

開き切る前に既に画面は起動していた。

素知らぬ顔で「ずっと点いてましたけど何か?」と問うているような、

「これくらいは余裕ですけれども?」と涼しい顔をしている。

初期設定を終えて、デスクトップが立ち上がる。

MacBookのある生活がはじまる。