2022/10/31
10月が終わる。
今年も残すところあと2ヶ月となった。
メンタルは回復に向かっている。
少なくとも、思うように声が出ず、仕事にならないことはなくなった。
哲学書の読書も続いているし、BMXも続いている。購入したピストバイクとの付き合い方も定まってきた。
仕事も順調といってよい。
それでもしかし、自分という人間は何も変わっていないのではないか、どこでまちがってしまったのか、という思いは消えない。
たまに消えてなくなりたいような絶望的な気分になる。
自分がやっていることが自己満足の域を越えることはあるのだろうか。
世界に意味なんてない、といってしまえばそれまでで、自己満足に終わろうとも、誰かに認められ賞賛されるほどのものを生み出そうとも、どのみち全てに意味や、価値なんてないのだったらどっちでもいいではないか。
ただ自分が少しでも気分良く生きていけるようにすることぐらいしかできないのではないか。
他人の役に立つことをするとか、自分の正義を貫くとか、言ってみたところでそんなことになんの意味があるというのであろう。
いつからこんなにも虚無主義になってしまったのであろう。
少なくとも学生時代はこんなではなかった。
ある意味自分という人間に対して、人生と言うものに対して、見切りをつけてしまったのか。
いや、そんなかっこいいもんではないな。
ただ単に自分を憐んで、自己満足に浸っているだけではないか。
時間だけが過ぎていく。
2022/11/03 8:09
フェイキー戻り初メイク。
思ったより左足踏み出しのタイミング早くしたらできた。
ほんと不思議やけど、まったくできる気配のなかった技でも、練習のたびにとにかく練習を継続し続けて、飽きるほど毎回毎回進展がなくとも、続けてさえいればある日、急にできるようになる瞬間が訪れる。必ず訪れる。
その瞬間は、なにか降りてくるというか、無敵感というか、「そういうことだったのか」と腑に落ちて、逆になぜ今までできなかったのか不思議に思えるような感覚がある。
2022/11/05
自分は哲学書を読んでいる。
だがしかし、自分の思想として何か哲学的な概念を創造したり、既存の哲学を分析したりできるような能力は今のところない。もちろん将来的にそんなことができるようになったら楽しいだろうとは思うし、なれるように力の限り努力していきたいとは思う。
とはいっても、現時点でできないことはできない。
今の自分にできることを、他人がやらないくらい一生懸命にやり続けることしかできない。
それでいい、と思っている。
では、今の自分が発信できることで、何かまだ世の中には出回っておらず、価値のあることは何か。
誰もやったことのないことであればなんでもよいわけでは当然ないが、今現在自分が取り組んでいることの中に自分にしか出せない価値というものが何かあるのではないか。
例えば、ピストバイクを買って、乗り始めてこれは自分の生活が変わるくらいに便利に感じているではないか。
例えば、BMXで新しい技ができるようになった感動を知っているではないか。
外岩で長年の課題を登った時の達成感を経験したではないか。
哲学書を読むことの楽しさを伝えることができるのではないか。
日々の生活を写真に撮って残すことの価値を共有することができるのではないか。
自分が実際に体験して感じたことは、自分にしかできない価値のあることと考えていいのではないか。
難しく考えずに他の人に対して、「こんなにいいことがあるよ」とおすすめしてあげることでいいのではないだろうか。
ある程度作り込んで量より質で勝負するのか。
Vlog的に質より量で、その積み重ねで勝負するのか。
戦略として、それらの使い分けは大切になってくる。
自分が何をどう試行錯誤したのか。何を選択し、何を切り捨てたのか、どう考えて取捨選択したのか。
それを記録しておくべきだろう。
それが後から来る人の価値になることもあるだろう。