2022/11/12
チャリの調子良かった日に思うのは、調子悪い日に無理する必要はないということ。
そういう日は今日は調子悪いなぁと思いながらただ乗ればいい。
昨日、妻の父が退院してフェイスタイムで話を聞く。(肝臓に膿が溜まって高熱が続き、手術して1ヶ月程度入院していた)
少し妻の父の考え方が理解できたのでメモしておく。
どうやら死というものに対して、悲観的になっておらず、むしろ積極的に向き合っていて、死を避けては通れない一つの通過儀礼のように捉えているのではないかと思う。
ただ今回の入院の経験を通して、その避けては通れない通過儀礼について、なかなかどうして一筋縄ではいかないものだという認識を深めたのではないかと思う。妻の父の性格上、病院での生活は本当に苦痛以外のなにものでもなかっただろう。
ほとんどの看護師は患者を人間として扱っていないような態度であっただろうし、事務的に決められた職務を機械のようにこなしているだけだったようだ。
看護師の立場からしたらそうしないと、いちいちまともに話をきいて対応していたら、自分の身が持たないという部分もあるだろう。それも理解できる。
妻の父は頭のいい人だから、自分の人生の畳み方については熟考してきたことだろう。
2022/11/13
一昨日、ピスト用にペダルストラップ購入した。
昨日、ピストに取り付けた。
今日、ピストでスキッドできた。
朝は雨だったのでBMXは乗れず読書。
昼に「天気の子」を観る。
晩御飯後、ピスト練。
雨上がりの路面が濡れているタイミングなのもあってか、スキッドがあっさりできた。
できるようになるまでもっと時間がかかると思っていただけに拍子抜けの感じはある。
ただ、とりあえずできたというだけで当然だが完成度としては極めて低いものだ。
風呂入って、また読書してる時とても充実感を感じた。
自分にとっての充実感とは、運動と読書のバランスにある。
適度に運動することで読書の集中力も上がるし、面白いと感じる感受性も高まる。
いや違うな。
『この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。』ニーチェ
やっぱりこれかもしれない…
自分にとって危険な挑戦であったピストでのスキッドができたことでの充実感だったのかもしれない。
自分なりに新しいことに挑戦している実感がある。
かといって3日坊主になっているわけでもない。
誰かに決められた価値を生きるのではなく、価値は自分で決める。
今日感じた充実感は、それっきりではなく永遠となり、回帰する。
いい時間をすごせば、その時間が過去に過ぎ去ってしまったとしてもなんの問題もない。
その瞬間は永遠として保存されている。
話は変わって、自分は「老い」とか「死」に対してどのように感じているのか。
「老い」については、日々実感することが増えてきた。
日々、仕事で高齢者と接する機会も多く、その際に自分もいつかはこうなってしまうのかと、うすら寒い気持ちになってしまうこともしばしばある。
身体と心の健康をいつまで維持できるのか。でも結局最後は死んで全ては「無」に帰すのだ。
そんな儚い命を自分はたいそう大事そうに、びくびくと恐々と日々を生きているものだと思う。
どうせ最後には死ぬ命、もっと破天荒に大胆に生きてみようではないかという気持ちにはとうていならない。
根本的な臆病が終始つきまとい、あくまでも安全圏から、できるだけリスクを排除した上で行動することが自分の流儀のようになってしまっている。
ハイリスク・ハイリターンは避けて、できるだけ安全な道を選択しようとする。
そのような傾向はもはや自分自身にしみついており、なにかそうとうな出来事がない限り、死ぬまで変わることはないだろう。
そういう人間にとって「死」とはどういう受け入れかたができるのか。
想像がつかない。
妻はちがう。ある意味肝が据わっている。潔いきっぱりとした逝きかたをするだろう。
じぶんはいつまでも、みっともなく生にしがみついて、その余生を汚すような生き方をしてしまうのではないかと疑ってしまう。
自分に対する執着、生に対する執着心を最後の最後まで捨てきれないような気がしてならない。
それが良いか、悪いかは別として。
2022/11/15
自分の今の身体の状態を永遠に維持したい、つまりは老いたくないという気持ちはある意味自分自身の身体に対する所有欲と呼んでもいいのではないか。
その所有欲ははたして善なのか、悪なのか。
人間の本質に関して、スピノザは「欲望」と定義し、ニーチェは「権力(力)への意志」と定義した。
両者は言い方が違うだけで同じものではないか。
2022/11/16
なるほど、人間とは有限で不完全な存在であるが故に面白いのか。
そして自らが、無限、完全である神の表現であることを知らないが故に、無限を求め、完全を求める。
2022/11/17
他人と比較せずに自己の能力に満足することこそが最高の喜びをもたらす。