2026年10月14日

最近の職場でのルーティンを紹介しよう。汚い話で申し訳ないが
小便に行ったら必ず個室に入り下腹部(丹田?!)に力を込めながら呼吸法をする。具体的には『ヨガの喜び』沖正弘著に載っていた「中心力強化のポーズ」を4、5回やってから仕事に戻る。
小便とその呼吸法をセットにしてルーティン化している。そうすると頭に上った血がスッと下の方に降りていき落ち着きを取り戻すことができる。頭に血が上りやすい方は試していただきたい。(具体的なやり方は本を読んで欲しい。たしかKindleでも出てたはず。)
最近はこの方法に助けられてなんとか日々の修羅場をしのいでいる。のんべんだらりと生きていけたらいいなと思いはすれども、緊張感の絶えない毎日を乗りこなすためにはいろいろと意識的に生きていかなくては立ちいかない。それでもなんとか心を保ちながら自分の人生を前に進めていきたいという気持ちだけは持っておく。

またコメダにきてしまった。大学図書館に行こうと思っていたのに、できるだけ無駄遣いはやめたいのにきてしまった。以前はカフェでは周囲の雑音で集中できなかったのだが、最近はむしろカフェくらい雑踏感があるほうが集中できる。そして一度この居心地の良さを覚えてしまったら常にこちらを求めてしまって大学図書館から足が遠のいている。

これは何なのだろう。ある程度の邪魔が入ったほうがその邪魔を一つのとっかかりとして私自身を定位させることができ、その邪魔を基準にして私自身の態度を取るという覚悟がきまる。全くの無音、全く自分一人の空間というものは参照点がなさすぎて自分自身を定位できない。それがどのような参照点であれ何もないよりは何かごちゃごちゃしたもののなかに自分自身があるという実感があればそこから自分自身を構成していくことができる。そのようなある種の邪魔に対抗するという意識が自分の中に芽生えることで集中力が生まれる。そんな感じ。
コーヒー1杯で5時間くらいねばってこれでもかというくらい作業した後はとても清々しい。少額ではあるがお金を払っているということも影響していると思う。それだけの元はとらなければならないという貧乏性が発揮される。あとコメダはコーヒーが旨い。

それにこれも今日気づいたことだけど、自分の意識の2割くらいは周囲の座席の会話に強制的に聞き耳を立てている。宝石を売りつけようとしている営業トークや、昼下がりのママさんたちの愚痴トーク、店内のBGMなどが否応なしに意識に割り込んでくる。そのような雑音と自分の作業とを行ったり来たり、両者のせめぎ合いの中で時間がすぎてゆく。3時間を過ぎたあたりから自分自身がゾーンに入っていくのがわかる。次から次に入れ替わる客を尻目に、店が営業を続ける限りいつまででもやっていられる感覚に襲われる。ただただ心地いい半覚醒状態のなか意識さえも遠のいてゆく。
気づいたときには夕日が顔にまぶしい。そのようにして一日を終える。今日もやったぞという気持ちになる。また来てしまうだろうという予感と共に席を立つ。

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