福尾さんに影響されてWorkFlowyのアプリを入れてみた。どう使うかはこれから考える。日々の日記はObsidianで書いているしWorkFlowyは思考整理用という使い方なんだろうけど文章を書きながら自分の思考を整理するという場面が果たして私にあるだろうか。これまでやってきた哲学書の翻訳作業はObsidianで事足りている。もし使うとしたらもっとクリエイティブに自分の思考を展開させるようなイメージなのだがそのようなことが私にあるのだろうか。既存の哲学をただ模倣する、自分のなかにインプットする、自分なりにまとめるということと自分の中から出てくるものをアウトプットするということの違いはわたしにとってドゥルーズの哲学と切り離せない。ここ最近ドゥルーズを集中的に読んでいるわけだが、もっと自由にもっと既存の様式から離れて表現すること、実践することを考えている。既存の哲学を理解してそれをそのまま発信するのでは面白くない。既存の哲学を使って私なりの発信をするということ。そこにドゥルーズの哲学はフォーカスしている。
