さて、「書く」ことを再開しようと思う。
文章を書いていなかったこの間、自分はBMXにハマり、哲学書の読書も再開して、それなりに充実した時間を過ごしていた。
しかし、読書はあくまでもインプットである。やはり自分としてはアウトプットをしていきたい。
「哲学を勉強して、自分なりに考えたことを書く、書くことでさらに考えを深める。そして、学んだことを自分の人生に活かす」
これだろう。
この数ヶ月、BMXと哲学書に取り組むなかで感じていたことがある。
この二つの取り組みの共通点についてである。
圧倒的に「難しい」のだ。
日々の練習や、読書は決して楽しいものではない。毎日同じことの繰り返しで、代わり映えがしない。
やったことに対して、すぐに成果として表れるわけではなく、ミリ単位の成長を毎日毎日積み重ねてすこしずつ習得していく。さらにやり方を間違えれば、やればやるほど下手に、未熟になっていく可能性すらある。
つまりめんどくさい。
インスタントにお手軽に快感を得られる手段は他にいくらでもあるだろう。
しかし、現代という情報や娯楽に溢れ、安易な方向に流れやすい状況の中で、あえてそういったジャンルに取り組むことに意義を見出したい。
苦労して習得した技術や知識は、自分にとってかけがえのないものとなり、長期的にみたら一朝一夕では決してなし得ない自分だけの個性と言えるものになっていくであろう。
という考えで、今のところはこれらに取り組んでいて、当分飽きることはないだろう。
そして、同じように「書く」という行為にも惹かれるものがある。
今は動画の時代である。個人でもプロ並みの動画コンテンツが作成できるようになった。
通信回線は爆速となり、動画作成や共有の障壁は限りなく低く、YOUTUBEなど素人でも簡単に動画を共有できるツールが供給されることで、ネットには動画コンテンツが溢れている。
今後、「書く」ということそのものが軽視されていく可能性があると思う。
なぜなら、前述のジャンルと同じで「めんどくさい」からだ。
消費者側にしても文章を読むよりも、動画を見る方が「楽」だからだ。
自分はそういった「めんどくさい」ことにこそチャンスがあり、自分の有限なる時間を費やしたいと思ってしまう。
天邪鬼な自分は、あくまでも今の主流に逆行したくなってしまうのだろうか。
そういった感じで、自分がアウトプットするとしたら書くことを主軸にしたい。
そして、「なにを」「誰に」書くのか。
やはり、自分が取り組んでいることについて、学んだこと、感じたこと、考えたことを、各ジャンルの人たちに向けて率直に書いていく、ということになるのではないか。
ゆくゆくは各ジャンルの玄人たち、キーパーソンに影響を与えられるような発信ができればこれに勝る喜びはないだろう。
「やり続けること」さえできれば、夢が実現するまでやり続けるという戦略をとれる。
「継続する」ことこそが最も困難で、最も力を注ぐべきことである。