「森で迷子になったら、どうしたらよいか。ただひたすらに一つの方角にまっすぐ進み続けること。それが正しい方角かどうかは問わない。いつかは、出口に到達できる。」

これは、自分にとって刺さる言葉であるが、どういう示唆があるのか。

「ある程度やることを見定めたら、それを継続してやり続けること。止まらずに少しずつでも前に進み続けること。途中でむやみに方向を変えないこと。」
方向性の正誤より、継続性。クオリティーの高低より、前進性。

すでに、車輪は回り始めているし、前に進みだしている。今できることといえば、インプットとアウトプットの回転率を上げて速度を上げることくらいか。

じゃあ、森の出口とは何か。何をもって、出口に到達したとするのか。
自分の感覚を基準とするのか。他者の感覚(世間の評価)を基準とするのか。
森は、自分の感覚だけで決まるものではない。自分の感覚だけなら、次の瞬間には森から抜け、街にワープすることができる。そして、前進をやめるだろう。

森の範囲は自分で決めるものではない。すでに決まっていて、森から抜けたときにはじめてそれを自覚できるのではないか。