
梅田スカイビル

2022/11/30
気分のいいことをしよう、気分のいいことをしよう。
自分の気分を上げてやろう。
2022/12/01
梅田スカイビル。



















父還暦旅行

2022/11/26〜11/27 父還暦旅行
旅行中は単純に純粋に楽しいだけだった。
それにもかかわらず、帰ってきたら老いが深く刻まれたお父さんの姿に悲しさと寂しさがあふれた。胸が締め付けられるような気持ちとはこのようなものだろう。いつのまにそんなにも老けていたのか。老いていたのか。
少し前まで、もっと生気のあふれる目をしていたはずだろう。もっと元気に満ち溢れていたではないか。
いつまでお父さんに会えるのだろう。いつの間にか時は過ぎてゆき、いなくなってしまうのだろうか。
そんなのは嫌だと思う。でもどうすることもできない。時の流れに対して無力。そんな残酷なことってあるものか。
ただその一瞬一瞬を大切に、おのれに刻み込むように生きることしかできない。














見据える技
2022/11/24
最近BMX乗っている中で次に見えてきている技。
・Fトラック
・エルクグライドからの戻り
・ファイヤーピンキー
自分の力が向上していくことに頭を使うこと。
時間の使い方、意識、生活習慣をみつめて、体力の向上、能力の向上、精神力の向上するような行動をとる。
それは、ただただ禁欲的なストイックなものではなく、快楽や悦びも必要。
盲目的にストイックになることだけではない。
快楽や悦びを怖がるような「弱者」にはならないこと。
生への執着

2022/11/12
チャリの調子良かった日に思うのは、調子悪い日に無理する必要はないということ。
そういう日は今日は調子悪いなぁと思いながらただ乗ればいい。
昨日、妻の父が退院してフェイスタイムで話を聞く。(肝臓に膿が溜まって高熱が続き、手術して1ヶ月程度入院していた)
少し妻の父の考え方が理解できたのでメモしておく。
どうやら死というものに対して、悲観的になっておらず、むしろ積極的に向き合っていて、死を避けては通れない一つの通過儀礼のように捉えているのではないかと思う。
ただ今回の入院の経験を通して、その避けては通れない通過儀礼について、なかなかどうして一筋縄ではいかないものだという認識を深めたのではないかと思う。妻の父の性格上、病院での生活は本当に苦痛以外のなにものでもなかっただろう。
ほとんどの看護師は患者を人間として扱っていないような態度であっただろうし、事務的に決められた職務を機械のようにこなしているだけだったようだ。
看護師の立場からしたらそうしないと、いちいちまともに話をきいて対応していたら、自分の身が持たないという部分もあるだろう。それも理解できる。
妻の父は頭のいい人だから、自分の人生の畳み方については熟考してきたことだろう。
2022/11/13
一昨日、ピスト用にペダルストラップ購入した。
昨日、ピストに取り付けた。
今日、ピストでスキッドできた。
朝は雨だったのでBMXは乗れず読書。
昼に「天気の子」を観る。
晩御飯後、ピスト練。
雨上がりの路面が濡れているタイミングなのもあってか、スキッドがあっさりできた。
できるようになるまでもっと時間がかかると思っていただけに拍子抜けの感じはある。
ただ、とりあえずできたというだけで当然だが完成度としては極めて低いものだ。
風呂入って、また読書してる時とても充実感を感じた。
自分にとっての充実感とは、運動と読書のバランスにある。
適度に運動することで読書の集中力も上がるし、面白いと感じる感受性も高まる。
いや違うな。
『この世に存在する上で、最大の充実感と喜びを得る秘訣は、危険に生きることである。』ニーチェ
やっぱりこれかもしれない…
自分にとって危険な挑戦であったピストでのスキッドができたことでの充実感だったのかもしれない。
自分なりに新しいことに挑戦している実感がある。
かといって3日坊主になっているわけでもない。
誰かに決められた価値を生きるのではなく、価値は自分で決める。
今日感じた充実感は、それっきりではなく永遠となり、回帰する。
いい時間をすごせば、その時間が過去に過ぎ去ってしまったとしてもなんの問題もない。
その瞬間は永遠として保存されている。
話は変わって、自分は「老い」とか「死」に対してどのように感じているのか。
「老い」については、日々実感することが増えてきた。
日々、仕事で高齢者と接する機会も多く、その際に自分もいつかはこうなってしまうのかと、うすら寒い気持ちになってしまうこともしばしばある。
身体と心の健康をいつまで維持できるのか。でも結局最後は死んで全ては「無」に帰すのだ。
そんな儚い命を自分はたいそう大事そうに、びくびくと恐々と日々を生きているものだと思う。
どうせ最後には死ぬ命、もっと破天荒に大胆に生きてみようではないかという気持ちにはとうていならない。
根本的な臆病が終始つきまとい、あくまでも安全圏から、できるだけリスクを排除した上で行動することが自分の流儀のようになってしまっている。
ハイリスク・ハイリターンは避けて、できるだけ安全な道を選択しようとする。
そのような傾向はもはや自分自身にしみついており、なにかそうとうな出来事がない限り、死ぬまで変わることはないだろう。
そういう人間にとって「死」とはどういう受け入れかたができるのか。
想像がつかない。
妻はちがう。ある意味肝が据わっている。潔いきっぱりとした逝きかたをするだろう。
じぶんはいつまでも、みっともなく生にしがみついて、その余生を汚すような生き方をしてしまうのではないかと疑ってしまう。
自分に対する執着、生に対する執着心を最後の最後まで捨てきれないような気がしてならない。
それが良いか、悪いかは別として。
2022/11/15
自分の今の身体の状態を永遠に維持したい、つまりは老いたくないという気持ちはある意味自分自身の身体に対する所有欲と呼んでもいいのではないか。
その所有欲ははたして善なのか、悪なのか。
人間の本質に関して、スピノザは「欲望」と定義し、ニーチェは「権力(力)への意志」と定義した。
両者は言い方が違うだけで同じものではないか。
2022/11/16
なるほど、人間とは有限で不完全な存在であるが故に面白いのか。
そして自らが、無限、完全である神の表現であることを知らないが故に、無限を求め、完全を求める。
2022/11/17
他人と比較せずに自己の能力に満足することこそが最高の喜びをもたらす。






自己満足
2022/11/11
ワードプレスでウェブサイト作ってもうすぐ2年になるけど、自分としては予想外に続いているし、なんならなくてはならないアウトプットツールになっている。
自分のページに愛着があるし、今のフォーマットはちょうどいい。
ほぼ誰も見てなくても、きちんと世界に向けて発信していることに違いはない。
誰かに見てもらうためというよりも、自分が見返して楽しむためにやっているようなところがあるが、いつか誰かが見つけるかもしれないし、いつか誰かの気休め程度の役には立つかもしれない。
少なくとも、自分にとっての気休め程度の満足感は十分に満たしてくれている。
結局自分は誰かに認められたいのではなく、自分が満足できればそれで幸せなんだと思う。
そんなほのかな、ぼやっとした可能性程度の雰囲気でやっていけばいい。
世界に何十億の人間が生きていようとも、自分のように、哲学が好きで写真が好きで、過去にボルダリングをやっていた経験があって、BMXとピストバイクにハマっている公務員はいるのだろうか。いくら世界は広しといえどもそんな人間はいないのではないかと思える。
そういう意味では自分は唯一無二であって、何十億分の1である。
でもだからといって、自分という人間がなにか人並外れた能力を持って生まれたわけでは全くない。
なにか、特筆すべき能力がひとつとしてあるわけではないことは何十年と生きてきて嫌というほど実感している。
自分がなにか人よりも優れているとすれば、何かに熱中する能力と、興味をもつ範囲の広さと、興味を持ったことに対する行動力くらいではないか。
意味のない世界を一生懸命に生きる。

2022/10/31
10月が終わる。
今年も残すところあと2ヶ月となった。
メンタルは回復に向かっている。
少なくとも、思うように声が出ず、仕事にならないことはなくなった。
哲学書の読書も続いているし、BMXも続いている。購入したピストバイクとの付き合い方も定まってきた。
仕事も順調といってよい。
それでもしかし、自分という人間は何も変わっていないのではないか、どこでまちがってしまったのか、という思いは消えない。
たまに消えてなくなりたいような絶望的な気分になる。
自分がやっていることが自己満足の域を越えることはあるのだろうか。
世界に意味なんてない、といってしまえばそれまでで、自己満足に終わろうとも、誰かに認められ賞賛されるほどのものを生み出そうとも、どのみち全てに意味や、価値なんてないのだったらどっちでもいいではないか。
ただ自分が少しでも気分良く生きていけるようにすることぐらいしかできないのではないか。
他人の役に立つことをするとか、自分の正義を貫くとか、言ってみたところでそんなことになんの意味があるというのであろう。
いつからこんなにも虚無主義になってしまったのであろう。
少なくとも学生時代はこんなではなかった。
ある意味自分という人間に対して、人生と言うものに対して、見切りをつけてしまったのか。
いや、そんなかっこいいもんではないな。
ただ単に自分を憐んで、自己満足に浸っているだけではないか。
時間だけが過ぎていく。
2022/11/03 8:09
フェイキー戻り初メイク。
思ったより左足踏み出しのタイミング早くしたらできた。
ほんと不思議やけど、まったくできる気配のなかった技でも、練習のたびにとにかく練習を継続し続けて、飽きるほど毎回毎回進展がなくとも、続けてさえいればある日、急にできるようになる瞬間が訪れる。必ず訪れる。
その瞬間は、なにか降りてくるというか、無敵感というか、「そういうことだったのか」と腑に落ちて、逆になぜ今までできなかったのか不思議に思えるような感覚がある。
2022/11/05
自分は哲学書を読んでいる。
だがしかし、自分の思想として何か哲学的な概念を創造したり、既存の哲学を分析したりできるような能力は今のところない。もちろん将来的にそんなことができるようになったら楽しいだろうとは思うし、なれるように力の限り努力していきたいとは思う。
とはいっても、現時点でできないことはできない。
今の自分にできることを、他人がやらないくらい一生懸命にやり続けることしかできない。
それでいい、と思っている。
では、今の自分が発信できることで、何かまだ世の中には出回っておらず、価値のあることは何か。
誰もやったことのないことであればなんでもよいわけでは当然ないが、今現在自分が取り組んでいることの中に自分にしか出せない価値というものが何かあるのではないか。
例えば、ピストバイクを買って、乗り始めてこれは自分の生活が変わるくらいに便利に感じているではないか。
例えば、BMXで新しい技ができるようになった感動を知っているではないか。
外岩で長年の課題を登った時の達成感を経験したではないか。
哲学書を読むことの楽しさを伝えることができるのではないか。
日々の生活を写真に撮って残すことの価値を共有することができるのではないか。
自分が実際に体験して感じたことは、自分にしかできない価値のあることと考えていいのではないか。
難しく考えずに他の人に対して、「こんなにいいことがあるよ」とおすすめしてあげることでいいのではないだろうか。
ある程度作り込んで量より質で勝負するのか。
Vlog的に質より量で、その積み重ねで勝負するのか。
戦略として、それらの使い分けは大切になってくる。
自分が何をどう試行錯誤したのか。何を選択し、何を切り捨てたのか、どう考えて取捨選択したのか。
それを記録しておくべきだろう。
それが後から来る人の価値になることもあるだろう。














理想の環境に満足できない自分のこと。

2022/10/17
正直、冷静に考えたら今の自分の環境は10年前に思い描いた理想の環境に限りなく近いのではないだろうか。
自分の自由時間がふんだんにあり、やりたいことやるだけのお金もあり、体力もあり。
仕事は安定しているし、
例えば、10年前に職場で同僚から信頼されている自分、こんな自分が想像できたか。
例えば、哲学書を読んで知識を得ること、考えること、読書することを心から楽しんでいる自分。
諦めたはずのBMXフラットランドに打ち込める理想的な環境にあること。
そんな夢が叶った環境にありながら、自分は性懲りも無く別の理想を思い浮かべて、満たされなさに苦しんでいると思うと、人間とはなんとわがままな、至らない存在かと思ってしまう。
つまり、自分には、思い描いた夢や理想を実現する力があるということ。
その上で、現状に満足せず常に別の理想を追い求めているということ。
「現状に満足すること」は言うは易し、行うは難し。
2022/10/22
人は何か心配事ができた時に誰か周りの人に相談して、自らの態度を決定しようとするタイプと、あくまでも自らの中で解決しようとするタイプに分かれる。自分は圧倒的後者である。






少しずつ回復している。

2022/10/11
凄まじく忙しかった。日中は次々と色んな人から声をかけられて、その対応だけで精一杯である。
それだけ頼りにされているということにしておこう。
ただ前日にヨガやストレッチポールで首、背中をほぐしていたからか、声の調子はよかった。それだけでどんなに忙しかろうが頑張れる。
と思う反面、そのように生活の面での辛さがなくなると、すぐに倦怠感、つまらなさが顔を覗かせる。この症状さえ治れば、もっとよい立ち振る舞いができる、もっとがんばれると思っていたが、いざ治ってみるとそんな思いは忘れてしまい、傲慢ささえ顔をのぞかせる。
難しいものだ。
自分が刻一刻と変化していることを感じる。
2022/10/13
ニーチェだって子供時代から独自の思想を展開していたわけではない。
最初はごくありふれた詩や自伝を書いていた。それをただひたすらに継続することで独自の思想に発展していったのだ。
ひとつ気づいた。
窓口でどなったり、理不尽なことをいう人の特徴。
目が濁ってる。澱んでる。黒目が薄い。
ひと目見たらわかる。
そういう人には注意しろということ。
2022/10/14
眠れはしたがだるい。
起きるのも遅くなりチャリも乗れず、読書。
頭がぼーとしてる。
今日もいろいろとあるのだろう。
色々と振り回されるのだろう。
社会の歯車の一つになり無理矢理回し続けられているということなのだろう。
でもそれもまたよし。
何をしたって、どうなったって問題なし。すべてはそれでよし。
振り回したければ、思いっきり振り回せばいい。そこから自分がまた何かを感じて、変わっていく。
精一杯一生懸命やるだけ。
2022/10/15
ニーチェの伝記を読んでいる。
おこがましくも自分自身を重ねてしまう部分がある。
ニーチェという人物はなんなのか。偉人なのか、天才なのか、凡人なのか。
なぜこれほどまで時代の、時の試練をくぐり抜け読み継がれているのか。
それほどの価値のある思想なのか。
もちろんそれだけではないが、ひとつは自分の思想をきちんと文字として、書物として残していたということ。
どんなに特異的な思想を内に抱いていた人物がいたとしても、文字として、書物として残していなければ、
あとの時代の人間はその人物の思想を知るすべはない。
ニーチェだって、子供時代から生まれ持って人類の歴史に残るような思想を抱いていたわけではない。
毎日毎日、何年も何十年もかけて本を読み、音楽や論文で表現をし、そんな気の遠くなるような積み重ねの上に
偉大な思想が生まれたのだ。
2022/10/16
日曜日。
休み2日目の今日は非常に安定している。
やっと自分を客観的に冷静に俯瞰する余裕ができている。
なぜ金曜日の仕事終わりから、土曜日にかけてはあんなにも心がざわめき、自分というものを悲観し、無くなって仕舞えばいいと自暴自棄に陥るのだろうか。
平日、仕事でそれこそいろんなひとの中で、いろんな思惑やら、苛立ちやら、猜疑心やら、ごちゃごちゃの荒波のなかで過ごし、本来の自分というものがなんだったかわからなくなってしまう。
自分は他人に気を使いすぎなのかもしれない。
もっと自由に、自分の仕事に集中すればいいのではないか。















6連勤からの2連休

2022/10/03
メンタルが不安定な日。
咳が再発して声出ずらい。
職場は新しい人たちが入ってきて、バタバタしてる。
自分の庶務は全くできなかったが今週は我慢して、窓口さばく。
自分の調子が悪いので、あまりうまく立ち回れず、声も出ずもやもや。
とにかく、朝晩の瞑想。良質な睡眠だけは死守しなくては乗り越えられない。
2022/10/04
昨晩はしっかり眠れた。
朝のチャリも調子よさげ。
2022/10/06
予算の目処はついていい感じなんだけれども、如何せん咳が出て声がでない。
まったくこまったものだ。
瞑想を怠らず地道に直していくしかない。
ピストバイクには少し慣れてきた。
スタンディングと、スキッドくらいはできるようになりたい。
仕事が終わってピストに乗って帰れると思うと少しわくわくする。
2022/10/07
結構な大雨。
初めてピストバイクびしょびしょに濡れたがこれは想定内と言い聞かせる。
駐輪場で念入りに拭きあげるが、シルバーパーツが多いので、水垢とか残りそう。とくにリムとか。
相変わらず、声が出ずらい。かなりつらい状況が続く。
それとは反対に職場の雰囲気は少しは改善に向かっているようだ。
今回自分が堪らず動いたことがいい結果を産んだが、何故自分にそんなことができたのだろうか。
一つは哲学書を読んでいることがある。
何がとははっきり言語化できないが読み始めて明らかに自分が変わっていきつつあると感じる。
以前の自分なら絶対にできないようなことができるようになっている。
哲学だけではないだろうが、要素としては大きく影響していると感じる。
反面、精神的なストレスが身体に出るようになってきた。
夜の睡眠がどんどん浅くなってきて、ストレスによる身体の不調に悩まされている。
瞑想とかいろいろ工夫はしてなんとか乗り切っている感じだがもっとひどくなるようだとこれはやばいなという感じ。
2022/10/09
少し思い立ってヨガをやってみる。
頭逆立ちに、逆逆立ち、魚のポーズが気管支炎や、首肩のこりに効果ありとの記述を「ヨガの喜び」に見つけ、実践してみる。
とにかく藁にもすがる思いとはこのことだろうか。
なんでもいいから声が出ない症状をなんとかしないといけない。
少し声が出やすいような、あまり変わっていないような。
2022/10/10
朝チャリ後、BMXを初めて洗車する。
さっぱり綺麗になると気分がいい。
メイドインアビス2期最終話まで視聴。
昨日のリコリスリコイルといい、名作。
ファプタにこころを持ってかれた。




HCB-1

2022/10/02
神戸のライドワークスへ。
muc-offのHCB-1を購入。
帰宅後ストロールへ念入りに吹きつけ。
一年間は錆が出なくなることを謳った商品やけど、どうだろう。
通勤で使うから結構雨とか降られるし、野外の駐輪場保管やから、錆の出やすい環境ではあるんやけど…
実験の意味も込めて使ってみた。
まあ、新車の時点でやっとくのが一番手間が少なくて済むし、通勤車とはいえすでに愛着MAXなので
いつまでも綺麗に乗りたい。
いや〜、しかしピスト最高ぅ〜
写真左:GR3(ハードモノトーン)
写真右:iphone13(ポートレートモード) + Dazzカメラアプリ仕上げ


